こんな時は家で映画でも〜「新ドイツ零年」

冒頭から美しい画面に引き込まれていく……ゴダールの作品です。

 

新ドイツ零年

ジャン=リュック・ゴダール

1991年制作

 

ベルリンの壁崩壊後のドイツを舞台に、フィクションとドキュメンタリーを交えて西欧史と映画史を交錯させ、国家の「孤独」を浮かび上がらせた一編。当初、TVの「孤独:ある状態とその変容」シリーズ用に製作されたが(本国では91年11月放映)、劇場公開を望むジャン・リュック・ゴダール監督により、ヴェネツィア映画祭の出品規定(六十分以上)に合わせて四分を加え、計六二分として九一年の同映画祭に出品。「イタリア上院議員賞」と「金メダル」を受賞した。劇場公開は、日本が世界初となる。「アレクサンドル・ネフスキー」「青い青い海」「ドイツ零年」などの映画作品が、ビデオ画像により随時挿入=引用されている。監督・脚本は「ヌーヴェルヴァーグ」のジャン・リュック・ゴダール。撮影は「愛されすぎて」のクリストフ・ポロックアンドレアス・エルバン、ステファン・ベンダ。美術監修は監督としても知られるロマン・グーピルとハンス・ジッヒラー(助演も)。録音はピエール・アラン・ベスとフランソワ・ミュジー、衣装はアレクサンドラ・ピッツとユリア・グリープが担当。音楽はモーツァルト、バッハ、イーゴリ・ストラヴィンスキーー、ベートーヴェンディミトリ・ショスタコヴィッチなどの曲を使用。主演は九三年二月二五日に他界したエディ・コンスタンティーヌで、六五年のゴダール作品「アルファヴィル」でも演じた当たり役、レミー・コーションを演じている。共演は、「さすらい(1975)」などの俳優としても知られる翻訳家・劇作家のハンス・ジッヒラーほか。ナレーションはテレビ演出家で、ゴダールの「女と男のいる舗道」などにも出演しているアンドレ・ラバルト

映画.comの解説、下は映画.comにあるあらすじ。

 

 

 

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 ベルリンの壁が崩壊した翌年の九〇年。元陸軍情報部に属し、現在はラジオ局でヘーゲル哲学史を翻訳しているゼルテン伯爵(ハンス・ジッヒラー)は、東ドイツの小さな町に身を隠していたレミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)を訪ねる。レミーは戦時中、ドイツで諜報活動をしていたがそのまま軍当局からも忘れ去られ、行方不明になっていた。数十年ぶりに彼を発見したゼルテンは、西に帰るように勧める。ワイマール郊外の収容所跡地の屋台では、所内の遺物が叩き売られている。レミーシャルロッテという女と知り合い、文豪ゲーテゆかりの地であるワイマール周辺を歩き回る。見渡すかぎり削り取られた広大な土地に、巨大な工事用削岩機が動いている。追想にひたるレミーに通りがかったドン・キホーテサンチョ・パンサが西はどっちかと訪ね、工事用機械をドラゴンと思い込んで突進する。港町のカフェでレミーは、ソ連の国家保安部が作り上げたニセの情報をゲシュタポに流していたことを回想する。ベルリンの壁がまだ存在すると思ったレミーはゼルテンに連絡する。路には国家権力に殺された若者たちが倒れている…

 

 

と、ストーリーを読んだところで、わけわからんですね。

 

ざっとそんな流れではありますが、どういうお話かということではなく、何がどう描かれ、何がどう引用されていて、どう語られているかだろうと思います。

するととても書ききれない様々な引用があり、とても纏められないのですが。

しかしDVDには結構な冊子が付いていて、ゴダールのルモンド紙によるインタビューが載っています。

これがとても面白い。

 

それによると、

 

「この作品はTV局の依頼で「孤独、孤独な状態」を題材としたシリーズ物として依頼された。

ゴダールは恋愛の孤独や麻薬中毒の孤独についての映画は作りたいと思わず、「ある国、ある国家の孤独、ある集団の孤独」に関心を持血、東ドイツはどうかと考えていたら壁が壊され、突然ドイツに関する映画となり、東から出発して西にたどり着いた。

 

TV局の依頼だったが、これはテレビ用映画ではない。35ミリの「映画館で封切られる映画」である。

ヴェネツィア映画祭に出品したのは、この映画に一つの存在を与えるため、その後テレビ放映されても私には興味がないし、それは存在することもない。

テレビで放映しても何もならない。

映画はテレビで放映できない。テレビは映画と違うことをするのに向いている。」

 

 

と、ここまで読んで、って、ほんの冒頭なのですが、

あちゃー、ゴダールさん、申し訳ない、わたしはこれをテレビ(DVD)で見たのですよ…

 

確かにわたしも映画は映画館で見なければ、本当には見たことにならない、と思っています。

この駄文集にも「〜こんな時には家で映画でも見ましょう〜」と、タイトルをつけているのは、今はテレビでしか見る術がないので、家で映画を見ましょう、という意味で。

テレビで見ても一向かまわない映画もありますが、それはまあゴダールの眼中にはないだろうと思われます。

 

さて、ゴダールはなぜこれをドイツで撮ったか。

 

「私はドイツ人によって人格形成され、自らドイツによって人核形成してきた。

アルベール・べガンの1937年「ロマン的魂と夢」は常に枕頭の書だった、まさにロマン主義こそ私の原点だった。すなわちゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」。ある種の負い目を感じていたが、ドイツに行ったことはなかった。」

 

それから彼は歴史的関連について語り、収容所に関するありふれた側面についての映画が撮りたかった(例えがすごいのだけど略)、ホーネッカーの裁きと服従して発砲した兵士について語る。

ドイツに行くことになって国について考えると、ヨーロッパではその歴史の中心にドイツがある…

 

と、インタビューではここから実際の映画について語られ始めるのです。

 

 

例によって、なかなか映画のことまでいかない。

 

いうまでもなく画面には映像と、時々文字と、そして登場人物がフランス語、ドイツ語で語流言葉と、ナレーションとして流れる言葉があり、わたしはどの言語もわからないから、日本語字幕を頼りに見ます。

一時期のゴダールほどには言葉の大氾濫ということはないので、苦ではありません。

ただ、数知れず引用される映画の画面や、小説や詩などの言葉は、とても追いきれません。

あとでDVD付録の冊子を読んで、ほおおお〜と感心するばかり(無教養)。

 

それはそれとして。

 

映像の素晴らしさは変わらず、(行ったことないからよく知らないけど)北方の陰鬱な光と、冷たさを感じる景色、黒みがかった樹々に、いつものように思いがけず(←わたしには)入れられた過去の映画、意外な情景(ドンキホーテが出てきたり、倒れた銅像、倒れた人)…

それらをボ〜ッと見ていても、この映画の良さは感じられるでしょう。

あまり根を詰めて見ると、寝落ちするかもよ。

 

 

インタビューでも語られているバーベルスベルクで撮られたDEFAの記録映画が引用されていますが、そこは半ば廃墟と化していて印象深いものです。

ゴダールはドイツ映画はアメリカ映画に対抗していた唯一の映画だと言います。

「戦後、崩壊しましたが、ドイツ映画は、ヨーロッパ的反米的であろうとしていました。また、ドイツ映画は独自の存在となる諸手段をほぼ手中にしていた唯一の映画です。」

その後、歴史の孤独について語るところも興味深いのだけど略、「映画は間において語る」のに向いている、「人々はそれを見て、それについて語る。生き生きとした一つの歴史を持つには、そこから、複数の歴史を語らなければならない。アメリカ人は、それを排除したということがハリウッドの作ったものを見ればわかります。」

 

わたしはハリウッド映画も見るけれど、このゴダールの意見には深く肯きます。

 

そうして、東に取り残された孤独なスパイが東を歩きながら見出していく、その画面から伝わる「女性名詞の歴史」が孤独であり、また、資本主義に飲み込まれていくヨーロッパ世界が孤独なのだろうな、と感じました。

 

レミー・コーションの最後のセリフが引っかかっているのですが…

西側に到着して、彼が吐き捨てたのは、資本主義に対しての言葉だったのでしょうか。

 

 

 

 

 

農林総合研究センターの初夏の花

ゴダールの「新ドイツ零年」のレヴューを書こうかと思ったのだけど、今から書いたら、夕食抜きになってしまうので、とりあえず。

昨日も今日も雨で明日も雨らしい、どうせお籠りだから同じようなもの、とはいえ、雨は嫌い。

晴れた日曜日に撮った花々でも見ることにしましょ。

 

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エゴノキのピンクの花。

 

 

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ヤマボウシ

 

エゴノキヤマボウシ、どちらも好きな花です。

 

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真っ赤なカルミラ。

咲くとピンクになるようです。

こんな赤いカルミラは初めて見た。

 

 

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ブラシの木。

 

 

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枝垂れエゴノキ

農林総合研究センターには「枝垂れ」を集めた場所があって、これもそこにあります。

 

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モミジガサという花。

 

 

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これもヤマボウシ

 

 

後どのくらいで昭和記念公園とか神代植物園とか行っていいようになるのかしら?

そのうち郷土の森の紫陽花も咲きそうです…

でもまあ近所に花を見ながら散歩できる場所があるだけ、恵まれていると言えるのでしょうね。

 

こんな時には家で映画でも〜「グランド・マスター」「西遊記2」

マーシャルアーツの映画、あまり多くは見ていないけど好きです。

一番好きなのは、ジェット・リー黄飛鴻を演じた「ワンスアポンアタイムインチャイナ」。

お行儀よくすごい立ち回りを演じるジェット・リーがかっこいい。

 

で、1988年の「旺角卡門」を始めとして…わたし旺角の近くに住んでいたことがあるので、非常に懐かしい…「欲望の翼」とか「恋する惑星」とかで鮮烈な印象を与えたウォン・カーウァイなら、どう撮るのか。

 

グランド・マスター

ウォン・カーウァイ監督

2012年制作

 

ブエノスアイレス」「花様年華」のウォン・カーウァイ監督が初めてカンフーを題材に取り上げ、ブルース・リーの師匠としても知られる伝説の武術家イップ・マンの物語を描く。1930年代の中国。引退を決意した北の八卦掌の宗師(グランドマスター)・宮宝森(ゴン・バオセン)は、一番弟子の馬三(マーサン)と、南の詠春拳の宗師・葉門(イップ・マン)を後継者の候補と考えていたが、バオセンの奥義を受け継ぐ娘の宮若梅(ゴン・ルオメイ)も自ら名乗りを上げる。しかし、野望に目のくらんだマーサンがバオセンを殺害。ライバルでもあるイップ・マンに惹かれていたルオメイは、その思いを封印して父の復讐を誓い、後継者争いと復讐劇は複雑に絡みあっていく。出演はトニー・レオンチャン・ツィイーチャン・チェンら、香港・中国・台湾のスターが集結。(映画.comから借りました)

 

 

イップ・マンはブルース・リーの師匠だそうで、他にも多く映画化されているようです。

が、ワタクシ、ブルース・リーがあまり好きではなくて、イップ・マンも実は、この映画で初めて知りました。

ブルース・リーの筋骨隆々として、上半身裸でヒョエエえ〜とかいうのが、好みではないのですわ。

ジェット・リー扮する黄飛鴻のように、端然としている武術家が好きなの。

 

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で、これはウォン・カーウァイ監督で、イップ・マンをトニー・レオンがやっていますから、当然のようにお行儀良い方の武術家になりました。

 

ウォン・カーウァイらしく、凝った映像で、スタイリッシュに作られています。

その分、格闘シーンなどはスリルに欠けるし、わたしは好きと言いながらその辺のことには全く暗いので、ナントカ拳と言われても、ホントのところ区別つかず。

そんなことは、まあいいような気がする。

大師匠の娘、ナントカ拳の継承者でもあるチャン・ツィイーは、この作品でも大変に美しく、イップ・マンを愛しながら、押し隠して、はかなく亡くなってしまう。

イップ・マンは、(大陸が共産化されたため)家族とも引き離され、失意の中香港で生きる。

ウォン・カーウァイらしく、トニー・レオンの淡々としたマレーションで物語は進みます。

しかし彼の実力を知るものが集まってきて、道場になり、幼いブルース・リーもそこにいる…

 

お話としては、きっともっと面白いイップ・マン物があるのではないかと思います。

これはウォン・カーウァイの手法が好きか嫌いかで別れます。

酷評する人がいるのもわからないではない。

 

わたしはトニー・レオンも好きだし、チャン・ツィイーもきれいだったし、悪く言えばあざとい、良く言えばスタイリッシュな映像も、まずまず悪くないと思いました。

それに、ようやくブルース・リーに実在のお師匠さんがいたことを知ったわけだし。

 

 

この後、徐克が聞き継いだ「西遊記2」を見ました。

 

シリーズ2ですが、俳優はかなり代わっていました。

まあそれでも「西遊記」という大枠があるので、大きな変化はありません。

お約束のお笑いもあり、しかし徐監督ですから、エグさは増し、スケールアップしています。

次もあるのかな?でももうわたしはいい…

ところで、ずっと前、香港のTVで徐克監督の初期作品を見ましたが(タイトルも何もかも忘れた)、あまりの暗さと滲み出るやり場のない怒りとの表現に、びっくりしたことがあります。嫌な後味の映画でしたが、才能と感じました。

 

こんな時には家で映画でも〜「わが町」

家でダラ〜っと見ているので、映画館で見る緊張感はなく、また、トシのせいもあって批判力は低下、どの作品に対しても、酷評する気にはならず、どこかいいとこあると思って見ています。

好きな監督の作品は、もうわりとそれだけで好き、って感じ。

 

この作品もそう。

 

わが町

川島雄三監督

1956年の作品。

 

川島雄三という人は、職人というか、実に種々様々な作品を、45歳で亡くなるまで撮り続けていました。

何やこれ?みたいなのもあるけど、どれ見ても面白い、とわたしは思う。

何しろ青森旅行で「川島雄三展」に行ったくらい。

タクシーの運転手さんに「川島雄三て誰ですか?」と聞かれてしまった…

まあ1963年に亡くなった人だから…わたしもリアルタイムで見たのではありません。

でも「幕末太陽伝」とか「洲崎パラダイス赤信号」とか「雁の寺」とか大変好き。

 

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そうそう、これは書いとかなきゃ。

川島雄三展」で、展示されていた川島雄三上着、ベスト、ズボンなどファッションが、とても素敵でした。

 

なかなか映画まで行かないわ。

 

以下、日活のHPから。

 

明治の末、フィリピンのベンゲット道路開拓の工事現場で働いていた血気盛んな一本気の若者・佐度島他吉(辰巳柳太郎)は、完成した道路の利用手段に憤慨して大暴れしたため、本国送還の身に。やむなく生まれ故郷大阪天王寺の長屋に帰って来たが、彼にとってフィリピンはもはや第二の故郷であり、「ベンゲットのたあやんの凱旋や」と見栄をきった。5年前、フイリッピンに出発する前夜に情を交したお鶴(南田洋子)が初枝を生み、女手一つで育てていたことを知った他吉は、自分の身勝手を詫び、俥の梶棒を握って精を出した。ところがお鶴は長年の苦労からか病に倒れ、死んでしまった。歳月は流れ、美しい娘になった初枝は新太郎と恋仲になった。はじめは許さなかった他吉も、やがて結婚を許した。ところが不幸にも、初枝と新太郎の新居は新婚早々に隣家からの出火で灰となってしまう。意気消沈する新太郎に他吉は「フィリピンへひと旗挙げに行け」と送り出した。子供が出来ていることを知らせずに新太郎を神戸港に見送った初枝のもとに、間もなくフイリッピンから新太郎の客死の報せが届き…

キャスト
佐度島他吉=辰巳柳太郎 他吉の妻・お鶴、他吉の孫・君枝=南田洋子(二役) 曽木新太郎=大坂志郎 桂〆団治=殿山泰司 他吉の娘初枝=高友子 おたか=北林谷栄 敬吉=小沢昭一 夜店の親方=河上信夫 種吉=峰三平 書道教授=井東柳晴 日の丸湯の主人=紀原耕 車の客(関取)=仲島豊 小学校の先生=山本かほる おたつ=鈴村益代 屋台の親父=村田寿男 郵便屋=阪井一郎 若者=水木京一 若者=榎木兵衛 ならず者=宇部信吉 写真屋=小柴隆 按摩=加藤義朗 長屋の住人=美川洋一郎 長屋の住人=上原一二 長屋の住人=潮けい子 長屋の住人=久場礼子 長屋の住人=鈴木俊子 少年時代の次郎=長岡秀幸 少女時代の君枝=大友美鶴 幼女時代の初枝=志摩高子 幼年時代の次郎=山本啓二 幼年時代の敬吉=鈴木昭 朝日軒の小僧=蘭博義 花井次郎=三橋達也(特別出演) 鶴田富造=菅原通済(特別出演)
 
 
 
 
 

 

 

 

 

無法松の一生」に似たところもありますが、場所が大阪天王寺

全部セットというのが、やはり昔の映画会社はすごいな、と思う。

長屋と、下町の雰囲気がよく出ています。

川島雄三という人は、汚いものを撮るのが上手いというのか、好きというのか、こんなこと書いたらこの辺の人が気を悪くするかもしれないけど(今の話ではないから許して)、長屋がとっても汚く写っています。

作品中の他吉は「フィリピン」とは言わず「ふいりぴん」と。

かなりど迫力のおばかさんで、困ったさんですが、娘や孫娘に対する愛情は深い。

特に、妻、娘、孫娘となるにつれて、他吉も歳をとって行くせいもあって、愛情が深まるように見えます。

川島雄三は他吉の「愚かさ」を描きたかったそうで、それはもう大いに描けています。

同じおばかさんでも山田洋次のそれとどう違うのかと聞かれると困るけど…山田洋次の「馬鹿が戦車で…」は能力が足りないように見えてしまってあきまへん、他吉は性格がおばかさんなの。

 

ともかく、晩年になるに従って面白くなります。

孫娘の許嫁次郎に、ゆうたらあかんほんとのことを指摘されて、逆上、意気消沈する様など、かわいそう。まあわたしも次郎さんと同じように思ってたけど。

ふいりぴんの人も、こんな勝手な思い込みされては迷惑でしょうが、他吉にとってのふいりぴんは、自分の魂の置き所、既に夢の場所のように、憧れの南十字星となっていて、現実のフィリピンでは無くなっているように感じます。ガラの悪いオヤジですが、ロマンチストでもあったようです。

最後、結局孫娘の夫も因果なことにマニラへ行くのか、その姿は見せないまま終わります。

わたしなら「おじいちゃん、ごめんね〜」と心の中で言って、おじいちゃんのお金で、もちっとましなアパートに引っ越して危ないことはしないけど、次郎さんは、他吉に一番似た人物かもしれない。

 

他吉の夢を繋いで終わってよかったのかも。

 

川島雄三はこの直前に「赤信号」、翌年に「幕末太陽伝」を発表しています。

絶好調の頃の作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな時には家で映画でも〜「プリディスティネーション」

サッカーが見たくても見られない、スタジアムへ行きたくてもやってない…

ブンデスリーガは再開されたけど、CS解約してしまったので見られない。普段ブンデスはほとんど見てないのだけど、こうなると何でもいいから(失礼)見たい…

しかし、アンテナの具合か、なんかわからないけどCSが映らないのです。

うちに籠っててわかったのは、サポをしてないと…は、違うか、試合がなくてもサポはサポだから…

試合がないとヒマ。

試合がいかに多くの時間を奪っていたか、よくわかりました。

こんな映画のレヴューも長々書く時間はあまりなかったもの。

 

で、この

プリディスティネーション

マイケル・スピエリッグピーター・スピエリッグ兄弟監督。

 

2014年制作の作品。

 

footballista誌で「自粛期間中の今こそサッカーファンが見るべき11の映画」という、ジェフサポtkqさんによる記事に紹介されていた作品です。

11、という数が当然ながらサッカー誌らしい。

戦術好き向き、という評価は、見終わって非常に納得。

 

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またイーサン・ホークだけど、特に好きなわけではない。

シドニー・ルメットのダメな弟役の方が好き。

 

 

SF小説の大家ロバート・A・ハインラインによる短編小説「輪廻の蛇」を、イーサン・ホーク主演で映画化。時間と場所を自在に移動できる政府のエージェントが、凶悪な連続爆弾魔を追うためタイムトラベルを繰り返す姿を描いたSFサスペンス。1970年、ニューヨーク。ある流れ者によって不遇の道を歩まされたという青年(サラ・スヌーク)の身の上話を聞いた酒場のバーテンダーは、自分が未来からやってきた時空警察のエージェントであることを明かす。青年の人生を狂わせた流れ者への復讐のチャンスを与えるため、バーテンダーは1963年にタイムスリップし、当時の青年をエージェントに勧誘するが……。監督は「デイブレイカー」でもホークとタッグを組んだピーター&マイケル・スピエリッグ兄弟。

(映画.comより)

 

 

見終わった直後の感想は…

頭がグルグルグルグル…グルグルグルグル…

 

そりゃ「輪廻の蛇」ですから。

 

次に出た感想は…

仮にそれが可能になったとしても、タイムマシンなんてものは、決してこしらえちゃダメよ。

 

このグルグル感(?)と、薄々そうなるんだろーなー、でもそうならないでほしいなーと思ってはいたけど、やっぱりそうか、の最後の恐ろしさ、よくできた映画だと思います。

原作は読んでいません。

 

サラ・スヌークという女優は、特別美人ではないのだけど、この作品ではなかなかのインパクトを出しています。

男の自分が女の自分に恋して、しかもむにゃむにゃ…

ややこしいっちゃないお話です。

その女で男の役をサラ・スヌークがやっているのですが、男になってからの魅力と若い女の意固地な雰囲気をよく出していると思います。 

 

 

 

SFについてはまったく知識がないのだけど、わたしの印象だけですが、ここ最近SF映画の暗い傾向はこの作品にもあります。

70年代の雰囲気も出ていて、タイムマシンもちょっとおもちゃっぽいというのか、ユニバーサルジャパンの水鉄砲もあんなんだったと、思ってしまった…(うちが買ったのは背負う式だけど、あ、どうでもいいか)

 

ある種伝説のような「輪廻の蛇」、結局誰も存在しなかったかのようなお話でした。

 

 

 

 

こんな時は家で映画でも〜「友だちのうちはどこ?」

たまには安心して見ていられる映画を見よう、ということになり、

 

友だちのうちはどこ?

アッバス・キアロスタミ監督

 

1987年の制作

 

映画.comの解説によると、

 

友だちのノートを間違って家に持ち帰ってしまった少年が、ノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を描いた、子供についての映画。脚本、編集、監督はアッバス・キアロスタミ。一九八七年のテヘラン映画祭で最優秀監督賞などを授賞し、彼の名はイラン国内で不動のものとなり、八九年のロカルノ国際映画祭で五つの賞を総なめにし、イラン映画の水準の高さを世界に示した。撮影はファルハッド・サバ。素人しか起用しないことで知られるキアロスタミは、この作品でもカスピ海に近い小さな村の子供たちを使っている。主人公の少年にはババク・アハマッドプール、隣の席の少年には、その弟のアハマッド・アハマッドプールが扮している。キネマ旬報ベストテン第八位。

 

小津安二郎の大ファンだというキアロスタミですが、この少年と家族と村人しか出てこない作品にも、その影響を見ることができると思います。

 

1979年のイラン革命で多くの作家が国外に出ましたが、彼は政府当局から妨害を受けながらも、素人、子どもを使ってこの作品を完成したそうです。

素人と言っても、この子どもたちの自然な振る舞いには、演技というより、彼らの日常がそのまま出ているように見えます。

 

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この主人公の少年が可愛い。

 

学校で、アハマッドの隣の席の子が、宿題をノートに書いてこなかったこと、それが3度目だったことで、先生にひどく叱られる。

先生は、今度ノートに宿題を書かなかったら退学だぞ、と脅す。友だちが叱られているのを、心配そうに見るアハマッド、いい子です。

アハマッドがうちに帰ると、母親はまず宿題をしなさいと、日本の母親と同じように言う。

カバンを開けたら、なんと間違えて、その隣の席の子のノートも持ち帰ってしまった。

子どものやりそうなミスですが、隣の子はノートに書いてこなかったことを叱られたばかりですから、アハマッドは、これは大変と、ひどく慌てます。

何とか友だちにノートを返さなきゃ、と。しかし、母親は忙しく洗濯物を干しながら、時々赤ちゃんの世話をアハマッドに言いつけたりしながら「宿題が先」の一点張りで、聞いてくれない。

それでもスキを見て、遠くの村の友だちの家を探します。

 

距離は正確にはわからないけど、学校で友だちと同じ村の子に先生が、そんな遠くから、というシーンがあるので、大人でも遠いところのようですが、ノートを返したい一心のアハマッドは、その距離を走り続け、行き違いもあって2往復走ることになります。

 

ふむう。

走力でイランの勝ちだな、と余計なことを思う(←わかりにくい)。

 

子どもは大人から、ほとんどちやほやされず、アハマッドの祖父に至っては、子どもなんか規則を学ばせるために、4日に1回は叩くのだ、とオジジ友だちに豪語するくらい。

イランの社会では、子どもは訓練されるべき未熟な人間という存在のようです。

 

アハマッドは村から村を走り回り、すっかり暗くなってしまうのですが、結局ノートを渡すことができません。

すっかり打ちひしがれて帰ってくるのですが、そこで彼の両親も、4日に一度は殴る、と言っていたおじいさん(多分実行していない)も、彼に何も言わず、何も聞かない。

ここが日本の家族とは随分違うように感じます。

うちなら、遅くなったことで心配させられたと叱るでしょう。

愛情の表し方の違いでしょう。

 

キアロスタミの子どもへの視線が温かく、村や教室の描写も確かなものです。

キアロスタミは2016年にパリで亡くなったそうです。

 

 

 

FC東京年間チケット払い戻し

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zoomなどの背景に使える壁紙ですが、まだ使ったことない。

 

ちなみに、zoomで会合には3度出席しました。

初めのうちは自分の画像が気になった(なかなかうまく画面に収まらないとか)けど、そのうち慣れた。

 

 

さて、FC東京が13日、年間チケットの全額払い戻しを発表しました。

公式HPによると、

 

この度、2020シーズン年間チケットの全額払い戻しを決定しましたのでお知らせいたします。

新型コロナウイルス感染症の影響によりシーズンの再開が未だ見通しが立っておらず、ご心配とご迷惑をおかけしており大変申し訳ございません。このような状況の中で年間チケットの取り扱いについて検討を重ねて参りました。今後再開されても、無観客試合での開催や入場者数制限に伴う通常と異なる座席配置、応援制限、開催するスタジアムなど通常の試合観戦とは異なる状況での開催となる可能性が高く、当初予定していたSOCIOみなさまへの権利とサービスがこれまで通り提供できないと判断いたしました。また、スタジアムでの観戦に不安を抱える方も多くいらっしゃることを鑑みて、年間チケット代金の全額払い戻しという対応をさせていただくこととなりました。

年間チケットの収入はクラブ経営において非常に重要な収入源であり、今回の決定においては、クラブ経営の先行きが不透明な状況において難しい経営判断でありました。世界的に未曽有の事態において、ピッチ上で普段通りにサッカーが出来ないことが、これほどまでに辛いことなのかと選手、およびクラブに関わる全てのスタッフは痛感しております。同様にこれまでともに歩んできていただいたSOCIOのみなさまも感じていらっしゃると思います。今シーズンは例年のようなシーズンが過ごせない中で、私どもはSOCIOのみなさまと真摯に向き合い、これからもともに歩んでいただきたいという強い思いから以上の判断をいたしました。
この2020シーズンをSOCIOのみなさまとともに乗り越え、引き続き「強く、愛されるチームをめざして」参りますので、今後とも変わらぬご支援、ご声援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

具体的な返金方法については現在、検討中であり改めて返金方法の詳細をご案内するとともに、返金手続きを開始したいと存じます。
現時点で決定している詳細については下記をご確認ください。
なお、既にお送りしております年間チケット一式の返送は不要です。また、ホームゲーム開催時の先行販売や会員価格での購入、マイページへのログインやSOCIOカードによる観戦記録は引き続きご利用いただけます。詳細は、下記「各種特典について」の項をご確認ください。

□払い戻し対象者 
「2020年間チケット」購入(入金済み)のみなさま


□払い戻し辞退について
このような状況下において、一部の方から払い戻し辞退の意思を表明いただいております。そのため、受付フォームを設置させていただきました。払い戻し辞退のお申し出については以下のフォームより5月24日(日)23:59までに申請をお願い申し上げます。


払い戻し辞退については、クラブへの寄付でありお客様のご厚意によるものでございます。みなさま方のクラブに対する考え方やそれぞれの状況等によって異なりますのでご賛同いただける方のみ、申請をお願い申し上げます。

今回の新型コロナウイルスによる影響を受けて、チケットの払戻しを受けない(辞退する)ことを選択された方は、その金額分を「寄付」と見なし、 税優遇(寄付金控除)を受けられる新たな制度が創設されました。
FC東京の年間チケットについても本制度が利用できるよう手続きを進めております。詳細については決まり次第お知らせいたします。

 

 

ということで、24日までに結論出さなきゃ。

 

Twitterでは、この発表があってからしばらく、東京サポの神経質なツイートが見られました。

辞退するかしないかで、まるで東京愛の寡多が測られるような風潮になるのではないか、と心配するようなツイートです。

もちろん、人は人で何も周りを見回す必要のないことです。

クラブはJ3今治は別にして、Jクラブに先駆けて、難しい判断を下しました。

ジェフは昨日だったか、「払戻も含めて検討中」なる発表がありましたが、サポの問い合わせが多かったんだろうか…

 

うちは夫婦で東京の年間チケットを持っているので、二人でどうしようか思案中。

わたしはほぼ決めているけど。

 

ともかく、新型肺炎が流行り始めた頃には、想像もつかなかった大変なことになってしまいました。

首都圏、大阪京都兵庫、北海道以外の各県では外出自粛の緩和が決められ、鳥栖では早くもトップチームが全体練習を始めたとか。

こういうとき、首都圏は不利だなあ…選手もかわいそう。

しかし、まだまだ気を緩めていい状況でありません。

 

わざわざ記事にすることでもないけど、こんなこと2度とないように願いながら、記録として残しておきます。