黒澤明「醜聞」

わがFC東京のあまりにもくやしい負け試合の後、すぐにNHKBS隣のチャンネルで
黒澤明「醜聞」を見ました。
途中、夫が味スタからヨロヨロと帰宅したのでその部分よく見ていませんが、
一応感想を。

実は黒澤映画はあまり好みではなく、この作品も初見でした。
1950年の作品、「醜聞」と書いてスキャンダル、
テーマにも題名にも黒澤の進取の気質が表れています。
山口淑子扮する歌手と、三船敏郎扮する画家が、事実無根の
恋愛報道をされた雑誌を提訴する、一種の裁判物。
当時カストリといわれたスキャンダル誌、その名も「アムール」!
このあたり死語だらけですが、わたしにも死語の世界です、念のため。
編集長(?見てない部分に初出)は小沢栄太郎、達者な過剰演技です。
裁判の代理人弁護士が志村喬、この人が主人公といえる映画です。
三船は正義感が人間になったような役どころ。
彼がジングルベルの歌が流れるなか、バイクでクリスマスツリーを
軽快に運ぶシーン、印象に残ります。
志村喬は重病の娘を持つ、やさぐれたしょうがない弁護士。
「生きる」にもつながるような役どころです。
あいかわらず、黒澤のまっすぐ、生真面目そのものの映画です。

志村喬が、真正面向いて、つばが飛んできそうなアップで、告白するシーン、
黒澤好みのところでしょう。
彼のまっすぐな正義感が表れています。
黒澤は自分の映画で彼の価値観や主張を、登場人物に
縷々述べさせるのが好きなので、裁判は実に良い題材だったと思います。

山口淑子もきれいですし、次回放映の「白痴」の久我美子もきれいですが、
黒澤映画の女性には、あまり色気がありません。
原節子にいたっては、摩訶不思議な役どころとはいえ、
なんだか過剰で、なぜ二人の男に夢中で愛されるのか、よくわからない・・・。
過剰、というのも黒澤の特徴で、日本人離れしたところです。
色気がない、つまり清潔感があるともいえます。
それも彼の良いところでしょう。
一方で、わたしには何となく陰影や奥行きが足りず、
特に好きだとは言えないところでもあります。