ふふふ、河内屋、そなたも○よのう・・・
宮崎旅行記第2弾。
美々津の町を歩きました。
日豊線の無人駅もかわいらしいちいさな駅舎です。
降りたのはわたしのほかに一人・・・美々津の集落に行く道のり25分、
ほとんど誰にも会いませんでした。
この道でいいのかな・・・と心配になるくらい。
美々津は、今では何もない・・・と言っては、住んでいる人に失礼ですが、これはほめ言葉です・・・
静かな田舎町ですが、江戸時代には、耳川河口を利用した海の交通の要所、
廻船問屋「河内屋」を、中心として栄えた港町でした。
廻船問屋と言えば、TVの水戸黄門などで
「ふふふ、河内屋、そなたも悪よのう・・・」「お代官様こそ・・・へっへっへ」
などと、あまり良い役についていませんが、
実際は経済、文化の伝播の担い手、美々津でもメインストリートの真ん中に店を
構えていて、今もその建物が残っていて、日向市歴史民俗資料館になっています。
開館しているのかなんだか良くわからない、誰も出入りしていない・・・
中をのぞくと、おばちゃんが二人、世間話をしています。
「見せて頂いていいですか?」と聞くと「あ、はいはい、今雨戸を開けますから」・・・
どうもその日の客は、わたしが最初で最後だったみたい・・・
しかし、廻船問屋河内屋、あなどるべからず!
なかなか立派な造りの店舗兼住居なのです。
船大工さんが船底などを利用して建てたそうで、素朴ななかにも確かな技術、
装飾もシンプルですが、美しいものでした。
主の居所は、2階の海が見渡せ、下の庭の枯山水も見えて、風が抜ける心地よい部屋です。
おばちゃん(美人)が、懇切丁寧に説明して下さって、入館料210円では申し訳ないくらい・・・
美々津の港も大正くらいまで、遊郭もあるほどの賑わいだったそうで、
そんな写真もありました。
港町ですから、人の出入りも多かったのでしょう。
おばちゃんのお話によると、わたしの行った日の翌日は、旧歴の八朔(8月1日)にあたり、
お祭りなのだそうです。
日向は神武天皇東征の出発地、それを記念する伝統行事で、
各家の軒には短冊のついた笹が飾られていました。
早朝、子どもたちが笹を持って1件1件回って歩くのだそうです。
何か決まり文句があるらしいのですが、よく聞き取れませんでした。
そのせいか、子どもたちがなんとなく浮き立っている様子でした。
町の人ではない、観光客?と見えたのは、わたしのほかにほんの一人二人・・・
すっかりストレンジャーな気分でした。
土産物屋も1件しかなく、それも売っているのだか並べただけか商売っ気がなくて、
結局、今は昔の江戸廻船問屋と漁師町の趣深い町並みを思い出にして帰りました。
美々津の町を歩きました。
日豊線の無人駅もかわいらしいちいさな駅舎です。
降りたのはわたしのほかに一人・・・美々津の集落に行く道のり25分、
ほとんど誰にも会いませんでした。
この道でいいのかな・・・と心配になるくらい。
美々津は、今では何もない・・・と言っては、住んでいる人に失礼ですが、これはほめ言葉です・・・
静かな田舎町ですが、江戸時代には、耳川河口を利用した海の交通の要所、
廻船問屋「河内屋」を、中心として栄えた港町でした。
廻船問屋と言えば、TVの水戸黄門などで
「ふふふ、河内屋、そなたも悪よのう・・・」「お代官様こそ・・・へっへっへ」
などと、あまり良い役についていませんが、
実際は経済、文化の伝播の担い手、美々津でもメインストリートの真ん中に店を
構えていて、今もその建物が残っていて、日向市歴史民俗資料館になっています。
開館しているのかなんだか良くわからない、誰も出入りしていない・・・
中をのぞくと、おばちゃんが二人、世間話をしています。
「見せて頂いていいですか?」と聞くと「あ、はいはい、今雨戸を開けますから」・・・
どうもその日の客は、わたしが最初で最後だったみたい・・・
しかし、廻船問屋河内屋、あなどるべからず!
なかなか立派な造りの店舗兼住居なのです。
船大工さんが船底などを利用して建てたそうで、素朴ななかにも確かな技術、
装飾もシンプルですが、美しいものでした。
主の居所は、2階の海が見渡せ、下の庭の枯山水も見えて、風が抜ける心地よい部屋です。
おばちゃん(美人)が、懇切丁寧に説明して下さって、入館料210円では申し訳ないくらい・・・
美々津の港も大正くらいまで、遊郭もあるほどの賑わいだったそうで、
そんな写真もありました。
港町ですから、人の出入りも多かったのでしょう。
おばちゃんのお話によると、わたしの行った日の翌日は、旧歴の八朔(8月1日)にあたり、
お祭りなのだそうです。
日向は神武天皇東征の出発地、それを記念する伝統行事で、
各家の軒には短冊のついた笹が飾られていました。
早朝、子どもたちが笹を持って1件1件回って歩くのだそうです。
何か決まり文句があるらしいのですが、よく聞き取れませんでした。
そのせいか、子どもたちがなんとなく浮き立っている様子でした。
町の人ではない、観光客?と見えたのは、わたしのほかにほんの一人二人・・・
すっかりストレンジャーな気分でした。
土産物屋も1件しかなく、それも売っているのだか並べただけか商売っ気がなくて、
結局、今は昔の江戸廻船問屋と漁師町の趣深い町並みを思い出にして帰りました。