こんな時は家で映画でも〜「好色一代男」

緊急事態宣言、出ました。

と言ってもここ1ヶ月半も良い子にしていたから、これまでとそんなに変わりません。

朝、うちの前を自転車にティッシュ5箱入りを2パックのせたオジジ様が通り、また始まったか、と思ったくらい…

 

本当はサッカー、FC東京中心のブログなのに、最近は映画ばかり。

でも、今日のは特別でしてよ。

 

増村保造監督1961年の作品「好色一代男」です。

原作は言うまでもなく井原西鶴、学生のとき読んだきりだったので読み返してみたくなり、うちにあるかと探したけど、近松春色梅児誉美まであるのに、西鶴集はどこへ行ったか…

 

ともかく映画は映画で。

 

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主演は市川雷蔵。京都の大店但馬屋の息子で、どーしょーもない女好きの遊び人。

1960年代の大映は、女優が豊富にいたので、主人公世之介の相手役に、次々といい女優が登場します。

若い頃の中村玉緒がどんなに可愛かったか、これを見てびっくり。

 

雷蔵は、言っとくけど、わたしもリアルタイム(映画館)では見てないからね、とムキになることもないのですが、実はあまりよく知らず、TVで眠狂四郎シリーズをいくつか見たりしたくらい。

彼のフィルモグラフィーでこの作品はどう言う位置にあるのかはわかりません。増村と組んだのはこれだけだったようで、雷蔵はもっとやりたかったらしいのですが、機会がないまま雷蔵は37歳の若さで亡くなってしまいました。

 

雷蔵は監督の色を忠実に出せる人だったそうで、この増村作品でも、増村の映画らしく、前のめりに生きて、前のめりに去っていく世之介を演じています。

 

増村は多くの作品を撮っているので、わたしも全部を見てはいませんが、大変好きな監督です。

彼の映画の前のめりな疾走感は、他の監督にはないものだと思います。

この作品でも、世之介が「幸せにしたる」という女たちも、その時間を走り抜けて行きます。

世之介の父親は中村鴈治郎で、たいそういけず、ケチ、吝嗇、商人の鏡みたいな旦那で、母親は世之介が「しなびたタクアン」と評するそのままの、夫にただ従うだけ、水っけも脂っ気も失った干からびた女房。

世之介は父親の教え、叱責などまったく意に介さず、大店の金庫から遊女やゆきずりの女のためにお金を持ち出すばかり。

無類の女好きだけに、母親には同情している様子ですが、父親は目を盗んで金をかすめる相手だと思っている。

遊びが過ぎて勘当されて、諸国を放浪するのだけど、世之介は懲りもせず、各地でスキャンダルを起こします。

 

こう見ると、父親に同情したくなりそうですが、これがとても憎さげなオヤジで(鴈治郎がうまい)、与之介のいっそ痛快な女遊びをやれやったれ〜と応援してしまう。うちのお金じゃないからね。そんなにないし。

途中で、要領良く親父の死に目に会えて、財産を継ぐ。継ぐや否や、大いに女子のため浪費する。こんな息子いらないけど、人んちの子だと面白い。

増村の人物らしく、世之介も早口で、アホなボンボンのようだけど、時に正論を述べる。

この真っ直ぐに正論を述べるのも、増村っぽい。

お母ちゃんへの評価もそうだし、利佐(船越英二)と太夫のエピソードでもそう。

利佐と恋仲になった太夫を、世之介は自分(の親)のお金で身請してやり、夫婦にしてやって、何年かして会ったら、すっかり貧乏に打ちひしがれてきれいな太夫が「オニババになりやがって」と、夫の利佐が言うと、世之介「女房が鬼になるも仏になるもお前次第や」とか言う。このシーン好きです。

最後に登場する最高級の花魁夕霧がこの世を厭い、女は嫌なことばかり、と言うと「それは日本という国がそうなのだ」と言う。日本という国がいけない、と言うセリフは何回かあります。

この少し生硬な言い様も増村らしい。

 

で、彼は親の身上をきれいに潰して、もはや女に酷な日本には用がない、とばかりに、女護が島目掛けて出帆します。

 

増村は言うには、嫌な日本の中で最も嫌なのが京都だそうな。

その嫌な場所を捨て去る物語ということか。

 

世之介は女へのリスペクトがあり、女はみんな幸せにしたいと言う気持ちにも嘘はないのだけど、結局失うか、死なせてしまうかで、全うできないで終わります。

ただ、ひとときの幸せなら、お町(中村玉緒)も夕霧大夫(若尾文子)も味わったので、世之介は無力ではあっても、実のところ、彼女たちはそれで充足したようにも思います。

世之介としては挫折の連続なのですが、まったくめげる様子もなく、ひたすら前を向いて、とうとう女を幸せにできない日本を捨てて、女護が島へ旅立って行きます。

 

雷蔵は、この軽くてどうしようもなくて、でも憎めない世之介を、とても楽しんで演じているように見えます。

 

増村の作品は他にも面白い、印象深いものがあります。

時代物だとこのずっと後に撮られた「曽根崎心中」、梶芽衣子と宇崎竜童という組み合わせで、これも二人の恋の成就まで疾走していました。

大体同じ頃篠田正浩の「心中天の網島」がありましたが、同じ近松物でも、随分違った印象の作品です。

当時は、芸術性高い篠田作品への評価が高かったようですが、今見たらどうかしら。

曽根崎心中」の方が愛すべき作品と感じるかもしれません。