こもりっきりの4日間に〜ベルリンフィル、バッハ「マタイ受難曲」
2日に近所の東京都農林総合研究センターで散歩して、石楠花や里桜を思い切り楽しんだ後、体調を崩して、寝込んでしまいました。
ここ1週間くらい本当に避けられる限りのリスクを避けて生活していたので、まさか新型コロナじゃなかろうと思うものの、何しろエタイのしれない相手なので、そうだったらどうしようと、不安も募り、寝込みながら悪夢に襲われる…
結局昨年末以来すっきりしない胃腸の不具合のようです。
こんな状況なのでお医者に行くのも嫌で、ただ寝そべっておりました。
ほんとなら、4月10日のGood Friday、聖金曜日また受苦日とも言いますが、その日はバッハ・コレギウム・ジャパンのまさに「マタイ受難曲」を聞きに、オペラシティに行くはずでした。
それがギリギリになって、やはり新型コロナの影響で8月に延期。
8月の受難曲か…それも悪くないかも…しかし、8月にはやれるのか、そっちが心配。
どっちにしても、寝込んでいたから、時は無為に過ぎて行ったのでした。
そして日曜日、イースター、復活祭の夜、体調が良くなってきたので、聞けなかった受難曲を聞こうと。
これです。
ベルリン・フィル2013年
バッハ「マタイ受難曲」(2010年の再演)
www.berliner-philharmoniker-recordings.com


サイモン・ラトルは、2010年4月に上演された「マタイ受難曲」の上演を、「我々がこれまでにベルリンでやった最も重要な演奏会」と呼んでいます。世界中の批評家たち、そして聴衆は、その言葉に賛同するでしょう。ピーター・セラーズの演出が付いたセミステージ形式の上演では、マーク・パドモア、マグダレーナ・コジェナー、トーマス・クヴァストホフ、クリスティアン・ゲルハーヘル等の著名歌手が、渾身の演技と演奏を繰り広げています。この映像が、ブルーレイ・ディスクとDVDのセット、豪華装丁でリリース。デジタル・コンサートホールの7日間無料チケットも添付されています。
指揮はラトル。
エヴァンゲリストのマーク・パドモアというテノールも初めて聞いたのですが(クラシックほとんど何も知らないので)、エヴァンゲリストとして定評のある人のようです。あるいは、この演奏で定評を得たのかもしれないけど。
演出がピーター・セラーズで、写真のようにコラールもソリストも、時に演奏家までも、演劇的な所作をとるのです。
特に、エヴァンゲリストが大変。
彼は、一般に見られるように、あまり感情をあらわにせず、静止して福音書を読み上げるようなエヴァンゲリストではなく、エヴァンゲリストであると同時に、イエスの弟子マタイであり、不安と苦悩に満ち、時にイエスでもあり、苦難を受けます。
ソリストとしてのイエスは別にクリスティアン・ゲルハーヘルが歌うのですが、演出上は、マーク・パドモアが、ステージの上で、苦しみまくる。
何となく(連敗中の)モウリーニョみたいなゴマシオ頭の人だけど、この舞台は彼に負うところが大きいと思う。
彼にソプラノのカミラ・ティリングとメゾのマグダレーナ・コジェナーが絡みます。
彼女たちも大変だけど、きっとやりがいがあっただろうなと思う。
そして、マタイの否認の後のメゾソプラノのアリアでは、またも泣きそうになってしまいます。
これはもう、どうしようもなく美しく悲痛な音楽。
合唱曲の素晴らしさも言うまでもなく、導入部の合唱から、マタイの福音書の世界に引き入れられます。
第1部の終わりの合唱、第2部のイエスを嘲笑したり罵ったりの群衆、十字架につけろと禍々しい声、そして、慰めと平安に満ちた終幕のコラール、どれも聞き入ってしまいます。
さらに、このステージではコラールそれぞれ演技をしながらで、画面からも切迫感が伝わる演出です。
で、第1部と第2部の間に実際の劇場を同じように、トイレに行ったりお茶を飲んだりして、全曲、深く堪能しました。
やっぱり1年に1度は聞かないとね。
今年は夏にまた聞くかもしれないけど…いや、聞けたらいいなと思います。