こんな時は家で映画でも〜「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」

昨日「西遊記2」を見ちゃったけら、レヴュー書いてないのがまだ8本だわ。

西遊記2」の方はそんなに書くことないので、スルーでもいいか、誰に頼まれたのでもなし。

ステイホーム中に多少頭も使わなきゃと思って書いているだけだし。

 

ともかく、今回は

 

馬鹿が戦車(タンク)でやって来る

山田洋次監督

1964年の作品で、馬鹿シリーズの第3弾だそうですが、わたしはシリーズを見たことはなく、この作品が初見です。

 

めんどいからMovieWalkerのあらすじそのままコピペします。

ただし、不適切な表現は書き替えました(言葉を変えるだけでナンセンスかもしれないけど、いくら数人しか読まないブログでも、露骨な表現は載せたくないので)。

作品中では、時代柄差別的な言葉が頻出していました。またカッコ内の配役はわたしが入れました。

 

海釣りに来た中年の男と若い男は、船頭(東野英治郎)から海辺にある“タンク根”のいわれを聞かされた。その昔日永村は変った人間ばかりが住んでいた。この村はずれに貧しい一家が住んでいた。家族は、少年戦車兵あがりで農器具の修理をしているサブ(ハナ肇)と、頭のよわい兵六(犬塚弘)、それに耳の遠い母親とみ(飯田蝶子)の三人暮しだ。この“汚れの一家々”といわれているサブたちは村中からのけものにされていた。村には、業つくばりの長者仁右衛門(花澤徳衛)をはじめ、村会議員の市之進(菅井一郎)、セックスに明けくれる赤八(田武謙三)、たね(小桜京子)の夫婦。それに最近村に赴任したばかりの百田巡査(穂積隆信)などだ。なかでも仁右衛門とサブは、寄るとさわると喧嘩ばかりしていた。というのも、戦後農地解放で小作人のサブに分けてやった農地を、欲のつっぱった仁右衛門が取返そうとしているからだ。だが仁右衛門の娘紀子(岩下志麻)だけはサブ一家の味方だった。紀子は長い間病床にあったが、秋祭りが近づくころには、若い医者新吾の看病で起きあがれるようになった。やがて秋祭り。紀子は二年ぶりで村を歩いた。そんな紀子の姿を何よりも喜んだのはサブであった。紀子に誘われて全快祝いにかけつけたサブだったが、仁右衛門はにべなくサブを追い出した。腹のおさまらないサブは村中を暴れまわり、警察送りとなった。その弱みにつけこんだ市之進は、親切めかしにとみに金を貸しつけサブの土地を抵当としてまきあげてしまった。それから数日サブの家から突然旧陸軍のタンクがとび出し、仁右衛門、市之進をはじめとして村中を踏みつぶしていった。が、その時兵六が火の見櫓で鳥の真似をして、櫓から落ちて死んだ。暴れまわったサブは、兵六の死体をタンクに乗せると、いずこともなく去っていったというのだ。--船頭の話はここで終った。

 

 

というお話です。

 

f:id:fuchanp4:20200506171208j:plain

 

「こんな時は家で」シリーズで、今のところ一番気に入らなかった映画でした。

 

山田洋次って、寅さんシリーズも含めて、あまり好きではないのです。

じゃ何で見たか、ってたまには毛色の違うのもいいかなと思ったのと、寅さんに至る山田洋次の作品でどんなのかと。

最後にサブがそれまでの村人と特に有力者の仕打ちに怒りまくって、タンクで暴れ回るのだけど、それもあまり徹底していなくて、爽快感はない。

山田洋次のお馬鹿さん一家を見る視線が、気になる。

何を描こうとしているのか、お馬鹿一家へのシンパシーも伝わらないし、「昔話」のような仕立てにしているのもよくわからない。

知的障がいのある弟も、思った通りの結末で、何だか救いがないけど、紀子役の岩下志麻が「六ちゃんは鳥になったのよ」というのは、まあ真っ当な見方かもしれないけど、そういう六ちゃんのようなキャラクターを登場させる必然性はあったのだろうか。

村人でまともなのは岩下志麻演じる紀子くらい、彼女こそ寅さんシリーズのマドンナに通じるキャラクターではありました。

紀子は、仁右衛門家での自分の快癒祝いに、考えもなしに無邪気にサブを呼んで、張り切っておしゃれして行ったサブが村人から散々に愚弄され、ひどく傷けることになります。

そういう無邪気な無神経さ、寅さんのマドンナにもよくあるでしょ。

そうでないのはリリーくらいで、だからシリーズでも良作になったのではないかと。

 

そうか、村人全体が因循姑息な連中なので、それへの、そういう日本の古い体質への風刺というのが当たっているのかもしれません。

ともあれ、あたしゃ山田洋次は好きではない、ということを再確認した映画でした。