家でダラ〜っと見ているので、映画館で見る緊張感はなく、また、トシのせいもあって批判力は低下、どの作品に対しても、酷評する気にはならず、どこかいいとこあると思って見ています。
好きな監督の作品は、もうわりとそれだけで好き、って感じ。
この作品もそう。
わが町
川島雄三監督
1956年の作品。
川島雄三という人は、職人というか、実に種々様々な作品を、45歳で亡くなるまで撮り続けていました。
何やこれ?みたいなのもあるけど、どれ見ても面白い、とわたしは思う。
何しろ青森旅行で「川島雄三展」に行ったくらい。
タクシーの運転手さんに「川島雄三て誰ですか?」と聞かれてしまった…
まあ1963年に亡くなった人だから…わたしもリアルタイムで見たのではありません。
でも「幕末太陽伝」とか「洲崎パラダイス赤信号」とか「雁の寺」とか大変好き。


そうそう、これは書いとかなきゃ。
「川島雄三展」で、展示されていた川島雄三の上着、ベスト、ズボンなどファッションが、とても素敵でした。
なかなか映画まで行かないわ。
以下、日活のHPから。
明治の末、フィリピンのベンゲット道路開拓の工事現場で働いていた血気盛んな一本気の若者・佐度島他吉(辰巳柳太郎)は、完成した道路の利用手段に憤慨して大暴れしたため、本国送還の身に。やむなく生まれ故郷大阪天王寺の長屋に帰って来たが、彼にとってフィリピンはもはや第二の故郷であり、「ベンゲットのたあやんの凱旋や」と見栄をきった。5年前、フイリッピンに出発する前夜に情を交したお鶴(南田洋子)が初枝を生み、女手一つで育てていたことを知った他吉は、自分の身勝手を詫び、俥の梶棒を握って精を出した。ところがお鶴は長年の苦労からか病に倒れ、死んでしまった。歳月は流れ、美しい娘になった初枝は新太郎と恋仲になった。はじめは許さなかった他吉も、やがて結婚を許した。ところが不幸にも、初枝と新太郎の新居は新婚早々に隣家からの出火で灰となってしまう。意気消沈する新太郎に他吉は「フィリピンへひと旗挙げに行け」と送り出した。子供が出来ていることを知らせずに新太郎を神戸港に見送った初枝のもとに、間もなくフイリッピンから新太郎の客死の報せが届き…
「無法松の一生」に似たところもありますが、場所が大阪天王寺。
全部セットというのが、やはり昔の映画会社はすごいな、と思う。
長屋と、下町の雰囲気がよく出ています。
川島雄三という人は、汚いものを撮るのが上手いというのか、好きというのか、こんなこと書いたらこの辺の人が気を悪くするかもしれないけど(今の話ではないから許して)、長屋がとっても汚く写っています。
作品中の他吉は「フィリピン」とは言わず「ふいりぴん」と。
かなりど迫力のおばかさんで、困ったさんですが、娘や孫娘に対する愛情は深い。
特に、妻、娘、孫娘となるにつれて、他吉も歳をとって行くせいもあって、愛情が深まるように見えます。
川島雄三は他吉の「愚かさ」を描きたかったそうで、それはもう大いに描けています。
同じおばかさんでも山田洋次のそれとどう違うのかと聞かれると困るけど…山田洋次の「馬鹿が戦車で…」は能力が足りないように見えてしまってあきまへん、他吉は性格がおばかさんなの。
ともかく、晩年になるに従って面白くなります。
孫娘の許嫁次郎に、ゆうたらあかんほんとのことを指摘されて、逆上、意気消沈する様など、かわいそう。まあわたしも次郎さんと同じように思ってたけど。
ふいりぴんの人も、こんな勝手な思い込みされては迷惑でしょうが、他吉にとってのふいりぴんは、自分の魂の置き所、既に夢の場所のように、憧れの南十字星となっていて、現実のフィリピンでは無くなっているように感じます。ガラの悪いオヤジですが、ロマンチストでもあったようです。
最後、結局孫娘の夫も因果なことにマニラへ行くのか、その姿は見せないまま終わります。
わたしなら「おじいちゃん、ごめんね〜」と心の中で言って、おじいちゃんのお金で、もちっとましなアパートに引っ越して危ないことはしないけど、次郎さんは、他吉に一番似た人物かもしれない。
他吉の夢を繋いで終わってよかったのかも。
川島雄三はこの直前に「赤信号」、翌年に「幕末太陽伝」を発表しています。
絶好調の頃の作品です。