こんな時には家で映画でも〜「噂の女」

今日は大好きな監督だけど、未見だった作品を。

 

噂の女

溝口健二監督

1954年制作

 

以下、KADOKAWAのHPからコピへしました。

 

 

INTRODUCTION

華やかな花魁姿の太夫たちの中で、モダンな久我美子の魅力がひときわ目立つ!また、監督との名コンビで知られる田中絹代が、娘に恋人をとられる母親・初子を好演、これが溝口組での最後の仕事となった。

出演・大谷友右衛門進藤英太郎ほか。脚本・依田義賢、成沢昌茂、撮影・宮川一夫、美術・水谷浩、音楽・黛敏郎



京都の色街・島原で置屋を女手一つで切り盛りしている初子。東京の音楽学校に通い婚約直前であった娘、雪子が自殺を図り、家へ戻ってくる。

初子は年下の医者で思いを寄せている的場に娘を診せる。

傷心の雪子であったが、いつしか親密となった的場に、母親の仕事のために自分の婚約が破棄されて自殺に及んだことを打ち明ける・・・。

CAST

STAFF

 

 

 

 

 

 

 

 

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写真を見ても分かる通り、花魁の衣装と、久我美子のウェストをマークした姿の良いワンピース姿とが、何ともすごい絵に…(ヘップバーンという指摘がいくつかの評にありましたが、意識しているようですね)。

京都島原の遊郭が舞台で、さすがは溝口、さすがは当時の大映、セットが素晴らしく、遊郭暮らしがどんなものか、よく伝わってきます。

田中絹代置屋の女将、その娘雪子が久我美子

田中絹代とデキているというのか、ツバメみたいな立場の、主治医が大谷友右衛門

病気の遊女や遊女と客のエピソードなども織り込まれ、溝口らしい白粉の匂い立つような雰囲気があります。

ただ、雪子のところだけは、彼女が自分の家の商売を憎んでいることもあり、東京で暮らし、恋もしてきたこともあって、違った雰囲気…言葉遣いも標準語。実家に帰ると、実家の言葉遣いになるのが普通なのに、小津の「東京物語」の子どもたちと同じように(杉村春子は下町言葉、山村聡は標準語、大坂志郎大阪弁)、雪子も京都言葉は使わない。

帰宅した頃はしょんぼりしながら意固地になっていた雪子ですが、それなりに話ができるのが主治医だけだったので、次第に親しくなって行きます。

まあ並べてみれば、女将と彼より、雪子と彼の方が似合う…年の頃を見ると。

初子は本当に本気で、彼のために大枚叩いて郊外に診療所にする家を見つけ、犠牲を払おうとするのだけど、この男、いい加減なやつで、テキトーに女将を利用しつつ、お嬢ちゃんと東京へ行く魂胆。

この母娘、男を見る目がないところは似たようです。

 

久我美子の美しさは印象的ですが、後半に行くにつれて、田中絹代の演技の凄さが際立ってきます。

特に、上客を連れての能鑑賞で、そのロビーで愛を語る雪子と主治医との話を聞いてしまった田中絹代と、その後の狂言「枕物狂い」とのオーバーラップが凄まじい。

狂言では老人が恋をしたことを恥じて狂乱する姿が演じられ、それを見る初子の表情…

そして、彼女も「物狂い」の姿になって行きます。

 

大谷友右衛門のチャラい男もなかなかのもの。

素晴らしいセットの遊郭のある道を去っていくソイツの後ろ姿に、ついバーカバーカ、と言いたくなるほどの演技でした。

 

そして、蛙の子は蛙なんだろうか、帳台で生き生きと仕事する久我美子で終わりますが、一方、病気で亡くなった遊女の妹が、やっぱりここで働かせてください、とやってきます。

「あたしたちのような女はいつまで経ってもなくならないのかねえ」というようなことを言いながら、花魁たちが宴席に出ていくところは、「赤線地帯」も思い出させます。花魁たちの描き方は手練れというものでしょう。

 

 

というわけで、大変面白く見たのでした。