家で映画でも〜川島雄三2作品

大変だ、明日にはJ2とJ3が再開してしまう〜

J3の方は東京U-23が撤退したので、気楽に見られるようになったけど、J2はそうはいかない。

ユン様ジェフがどうなるか、この中断はジェフには良かったと思っているのですが、いきなり大宮ですからね〜

 

と、サッカーの話は置いといて、ますます時間がなくなるから、映画のレヴューをせっせと書きましょう。

 

今回は

川島雄三の2作品。

 

「こんな私じゃなかったに」

1952年松竹大船の制作。

 

製作は「お景ちゃんと鞍馬先生」の小倉武志。雑誌『平凡』に連載の北条誠の原作から、「栄冠涙あり」の池田忠雄 川島雄三と共同で脚色し、「娘はかく抗議する」に次いで、川島雄三の監督したものである。カメラは「郷愁」の西川亨である。出演者の顔ぶれは、「母の山脈」の宮城千賀子、「新婚の夢」の水原真知子、「現代人」の山村聡のほか、川喜多小六改め川喜多雄二の松竹入社第一回出演で、他に坂本武、北龍二日守新一桜むつ子、神樂坂芸妓でコロムビア歌手のはん子などである。

 

自由大学理学部の応用化学教室に学ぶ女子学生村田千秋は学内でも才媛で知られていたが、その姉昌子は元芸者で、今は踊りの師匠をしていた。昌子には、出征中、生木を割くようにして別れさせられた横山武との間に貢一という子があり、父親真吉と一緒に田舎に住まわせてあった。千秋は姉が二世帯の生活を見る上に、自分の学費まで負担していてくれる苦労を思い、日頃好意以上のものを感じ合っていた同じ教室の清水寿人があっさり金持の娘と政略結婚をしてしまったのを機会に、姉の昔の朋輩お龍の家から夜はアルバイトで芸者に出ることにした。千秋も、もちろん姉に劣らぬ踊りの名手であった上に、彼女の持つ知性が人気を呼んで、流行っ子となったが、やがてそれが学内で噂されはじめた。その噂に一番心をいためたのは、彼女に好意を持つ天文学教室の山下欽一であった。ある夜千秋は矢島という客と知り合い、その人柄に好意を持ち、酔ったまぎれに結婚してくれと放言した。昌子は千秋のアルバイトを知って心痛の余り山下を訪ねて相談するが、その山下から紹介された矢島は、その昔の横山武だった。

(Movie walkerからお借りしました)

 

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「歌謡ドラマ」というジャンルに入るのでしょう、神楽坂はん子のヒット曲「こんな私じゃなかったに」の映画化だそうで、はん子自身も芸者デビューした千秋の先輩芸者役で出演し、お座敷でこの歌を歌い、また作品の随所でこの昭和歌謡が流れます。

当時はそれなりに色っぽい歌だったのでしょうが、今聴くとなんだか呑気な感じがします。

ドラマの方は、姉妹で古い戦前からの女を演じる宮城千賀子と、大学の応用科学研究室で学ぶ(理数系!)新しい時代の女を演じる水原真知子との姉妹愛、そして女子大生が芸者をやるという当時なら新奇な仕掛け(しかもきれい)、姉真子が意地と愛を貫き報われるまでが描かれています。

現代なら女子大学生がアルバイトで水商売するなんて、全然珍しくないけど、当時は大学に行く女子すら少なかった時代で、その女子学生が芸者をするとは、とても目新しいことだったでしょう。

一人で金策も苦労も背負っている姉のために、千秋は姉に内緒で芸者になり、姉の方は妹には自分のようになってもらいたくない、と妹千秋は学業に専念するものと信じています。

それが失恋もあって芸者になるので、こんな私じゃなかったに、というところ。

天文学教室と器具の貸し借りなどで、千秋は出入りしていますが、この天文学教室だけ、なぜかお笑いシーンを受け持っています。研究員が皆へんなヤツだし、むさ苦しい研究室で、魚の干物を焼いていたりする…そんな奴らは、星空を見上げて、天文学を語りつつ、とってもロマンチストだったりします。

この山下と千秋がいい感じになっていきます。

 

というような話。

最大の見せ場は、宮城千賀子演じる昌子と、山村聰演じる横山武の再会と、結局のところ姿が良くてきれいな水原真知子の芸者姿ではないでしょうか。

 

 

もう一本は、

 

東京マダムと大阪夫人

 

1953年松竹制作藤沢桓夫が婦人生活に連載中の原作を、「愛情の決闘」の新人富田義朗が脚色、「純潔革命」の川島雄三が監督した。「嫁の立場」の高村倉太郎、「鞍馬天狗 青面夜叉」の木下忠司がそれぞれ撮影、音楽を担当している。「乙女のめざめ」の三橋達也、「君の名は」の月丘夢路、「きんぴら先生とお嬢さん」の高橋貞二大坂志郎、「弁天横丁」の水原真知子、「シミ抜き人生」の北原三枝、「若旦那の縁談」の坂本武、「坊っちゃん(1953)」の多々良純、「鞍馬天狗と勝海舟」の丹下キヨ子などの他SKDから映画初出演の芦川いづみが出演している。

 

 

東京西郊、俗に“あひるカ丘”の××紡績社員住宅地。西川隆吉の細君、大阪は船場育ちの房江と、伊東光雄の細君、お江戸は下町生れの美枝子は家も隣同志、ご亭主も同じ課の同輩とあって、一見にこやかな附合いのうちにも、何かにつけ張合う仲である。ある日、西川家に房江の弟八郎が訪れ、そのまま居候となる。宣伝飛行機の操縦士で、磊落な青年だ。時を同じうして、伊東家にも美枝子の妹康子が、古い「傘忠」ののれんをつがせようため、番頭徳平との結婚を強いる父忠一の手をのがれて、ころがり込む。磊落な八郎と、内気な康子はいつかそれとなく愛しあうようになる。ところが会社の星島専務の令嬢、心理学専攻とやらで男そこのけの張りきり娘百々子が、ふとその高慢の鼻を八郎にへし祈られた事から却って彼に大あつあつとなり、房江は二人の結婚の画策に夢中となる。ご亭主の栄進にかかふる一大事である。他方、康子の幸せのために美枝子も奮起した。

(映画.comより)

 

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こちらは全編笑わせるお話。

 

タイトルバックからして、なぜか過密状態で泳ぐアヒルたち。

そして「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には枕するところがない。

と申しますが住宅難の今日・・・」

といきなり聖書の言葉のナレーションが入り、住宅難の今日、xx紡績社員住宅などに住めるのは恵まれている方でしょう、と、お話の舞台が紹介されます。

その社員住宅が「アヒルヶ丘」と呼ばれていて、誰が世話しているのか作品中ではわからないけど、なぜか本物のアヒルも飼っていて団地の中をウロウロしています。

その1ダースほどのアヒルの群れと、人事課長夫人(丹下キヨ子)をリーダー格にいつも集まっては噂話に余念のない団地の奥様たちとを、重ね合わせていて、ううむ川島雄三め…と思ってしまいます。

 

お話は他愛もないのですが、社宅などにはよくある話をちょっと誇張したようなものです。

スチール写真、月丘夢路と水原真知子の間にあるのは2件共同の井戸で、その後ろにある丸いドラム缶のようなものは、当時最新の「電気洗濯機」です。

それをあのうちが買ったのだからうちも買わなきゃ、などと競争になるのは、よく聞く話です。

面白いのは、昭和28年当時の主婦の生活ぶりで、電気洗濯機がまだ羨ましがられるような時代、その丸い洗濯機で洗う様子が今見ると珍しい。

そして、どの家でも亭主はみんな女房のお尻に敷かれていて、その恐妻ぶりがおかしい。

しかし、妻が実家に帰ると、昔ながらのガンコオヤジがいて、なかなか往生させられます。

その頑固親父に逆って家出したものの、隣の居候八郎が好きになっても父親の意向に背くことができず、逡巡する古風さを持った娘を芦川いづみが可憐に演じています。

八郎は「こんな私じゃなかったに」の山下と同タイプ。女心はよくわからないけど前向きで、磊落な性格。高橋貞二が演じています。

あちらの山下は星を見上げていたけど、こちらでは飛行機乗りです。

この男に姉たちも専務の娘も振り回されることになるのですが、結局奥さんにしたら良さそうな、大人しくて従順そうな芦川いづみ演じる康子と結ばれることに。

増村の「最高殊勲夫人」でもそうだったけど、重役の娘で時代の最先端を歩くような元気な娘(北原三枝)は、振られ役になるようです。

 

社宅のご婦人が「憧れの」アメリカ行き(行くのは旦那の方だけど)を争ったのですが、結局アメリカ行きそのものが中止となり、なあんだというところ、アメリカ行き最有力候補だった人事課長夫人は、なんと旦那が転勤ということに。

一番賑やかだった人事課長夫人がいなくなって静かになるかと思いきや、その後に入居した奥様が輪をかけて超絶トーク。演じるのは高橋とよ、さすがのキャスティングです。

 

テンポよく、昭和28年という時代を活写しています。

 

そしてもう一度アヒル(多分出るだろうな〜やっぱり出た、でもおかしい)で笑わせてくれて、映画は終わります。

 

 

川島雄三、職人ぶりを発揮した2作品でした。