家で映画でも〜「天国は待ってくれる」

先日BSプレミアムで放映されたのを録画して見ました。

知らなかったけど、2007年に同じタイトルで清木場俊介という人の映画があったのね。

こっちは1943年の映画です。

 

天国は待ってくれる

エルンスト・ルビッチ監督

1943年アメリカ制作

 

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ストーリー紹介は映画.comから借りました。

 

地獄行きの手続きを委ねられている閻魔大王(レアード・クリーガー)は、そこにやって来た全く天国行きに執着しないヘンリー(ドン・アメチ)という男に興味を抱き、彼からその人生の話を聞くことにした--。母バーサ(スプリング・バイントン)や祖母の愛を一身に受けて育ったヘンリー(ディッキー・ムーア)は、フランス人のメイド、イヴェット(シグニ・ハッソ)から愛の素晴らしさを教えられる。26歳の誕生日を迎えたヘンリー(D・アメチー)は、マーサ(ジーン・ティアニー)という娘を見染めるが、何と彼女はいとこのアルバート(アリン・ジョスリン)の婚約者だった。そしてヘンリーは、マーサに求婚し、彼女を連れ去るのだった。それから10年後、2人は幸せな結婚生活を送っていたが、ある日突然マーサがカンザスの実家に帰ってしまった。しかし祖父のヒューゴ(チャールズ・コバーン)とともに彼女を訪ねたヘンリーは、またもマーサを説得するのに成功するのだった。数年後、ヘンリーはダンサーのペギー(ヘレン・レイノルズ)に恋してしまう。しかし息子のジャック(マイクル・エイムズ)も彼女に恋していることを知り、ヘンリーは自分の年を実感すると同時に、改めて妻の愛情に感謝するのだった。25年目の結婚記念日、2人は愛を込めてダンスを踊る。しかしそれが彼らの最後のダンスになってしまうのだった。70歳になっても女性に興味がつきないヘンリー。しかし彼にとって、最愛の女性はやはりマーサだった。そんなヘンリーにも、ようやく最期の時がやって来た。彼の話を聞いた閻魔大王は、彼を天国に送ってやることにするのだった。(プレノン・アッシュ配給*1時間52分)

 

 

デジタルリマスターで77年前とは思えないきれいな画面になっています。

マーサのドレス、ヴァン・クリーヴ家の豪奢なインテリア、マーサの両親の悪趣味な家具や服装など、戦時中にこんなリッチな映画が撮れたのか〜と思いました。

マーサ役のジーン・ティアニーがとても美しく、最初に登場した時のドレス姿にヘンリーならずとも惹きつけられます。

ドン・アメチーという俳優をよく知らないのですが、ちょっとしたハンサム(イケメンというのは合わないので)、こういうコメディにはよく似合う軽い感じ。

映画.comなどではヘンリーの死んだ時に裁きを行なったのは閻魔大王としていますが、仏教で言えばそうなるけど、これは悪魔の大王、ルシファーか何か。

しかしそんなおどろおどろしいものではなく、マンガチックなわかりやすい姿でとても紳士的。

彼に向かってヘンリーは「わたしは天国に行く資格がない」と言い、自分の人生を語ります。

天国行きに執着しないと映画.comでは書いてありますが、そうではなく(記事を借りといて腐してばかり、すまんすまん)、本当にその資格がない、と思っているのでしょう。

そして、自分の一生を語るというのは、女性遍歴を語るのとほとんど同じ。

でも、結局彼は妻マーサひとりを心から愛していて(マーサもヘンリーを深く愛していた)、単に女好きというか、きれいな女につい目が行ってしまう。

マーサの死後もきれいな女を追いかけ回すのは変わらないにしても、味けなさを感じていたようです。

最期は病床でいかつい顔の看護婦の言うことはちっとも聞かず、交代してきた好みの金髪できれいで若い看護婦に「あーんして、お熱を測りますよ」と体温計を口に入れられた途端に熱が急上昇して死んでしまう、という割と幸せな終わりを迎えます。

 

他愛ないお話といえばそうなのですが、祖父のちょっと皮肉なユーモアとか、両親の溺愛ぶりと、ヘンリーとマーサも息子を溺愛するさまとか、堅物で俗物のいとことか、田舎の金持ちマーサの両親とか、その家の執事とか、どの人物も面白く軽やかに描けていて、小津がルビッチの影響を受けたと言うのもわかります。

 

そして古き良きアメリカらしく、聖書的な価値観によって、天国に行く資格がない、と告白するヘンリーには天国への階段が開かれていました。

 

エルンスト・ルビッチユダヤ系ドイツ人で、36年にアメリカの市民権を取得したそうです。

この作品を制作した頃には、ヨーロッパではユダヤ系の人々が大変な苦難に遭っていたことになります。

それについて何か発言したのか、ルビッチをよく知らないので、わかりません。

 

しかし戦時中にこんなのんきな映画が作られていたとは(舞台設定はもっと前の時代ですが)。

さすがアメリカだな〜

と思って調べてみたら、日本では「無法松の一生」がこの年。

さらに成瀬の「歌行燈」も。

昭和18年くらいは日本もまだ精神的な余裕が少しはあったのでしょうか。

 

「こんな時代」だからこそ、ルビッチはこんなのんきで楽天的な映画を作りたく、また観客もそれを望んだのかもしれません。