新型コロナワクチン2回したし、それでも感染ることはあるにしても確率は下がり、重症化リスクはかなり下がるそうだし、映画館も感染防止策はしっかり取っているので、たまには映画館で映画を見よう、ということになりました。
たま、どころか、「パラサイト〜半地下家族」以来です。
サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
監督 アミール・"クエストラブ"・トンプソン
また横着して映画.comから借ります。
ウッドストックが開催された1969年の夏、160キロ離れた場所で行われたもうひとつの歴史的音楽フェスティバル「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」にスポットを当てた音楽ドキュメンタリー。スティービー・ワンダー、B・B・キング、マヘリア・ジャクソン、ニーナ・シモンらブラックミュージックのスターが集結し、30万人以上が参加しながらも、その様子を記録した映像は約50年間も地下室に埋もれたままになっていた。4度のグラミー賞受賞者で、エミネムやジェイ・Zのプロデューサーとしても知られるアミール・“クエストラブ”・トンプソンが初監督を務め、黒人の歴史やカルチャー、ファッション、音楽の大々的な発表の場となった同フェスティバルの全貌を、貴重な映像や当時のインタビュー、そして約50年の時を経てこの映像に初めて触れる当時の参加者たちの証言を交えながら描き出す。2021年サンダンス映画祭でドキュメンタリー部門の審査員大賞と観客賞を受賞。
2021年製作/118分/G/アメリカ
原題:Summer of Soul (...Or, When the Revolution Could Not Be Televised)
配給:ディズニー
スライ。
マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプル
この作品について詳しく、また出演者などもここに書かれています↓
1969年夏、ニューヨークのハーレムで行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。
同じ年のウッドストックもどちらももう歴史上の出来事になっているかもしれません。
が、ワタクシのようなトッショリは、ひよっこではありましたが、その時代の空気を吸ってはいました。
当時4歳でこのフェスティバルに来て、5thディメンションのフローレンス・ラルーの美貌に一目惚れした当時の小さなオーディエンスの思い出話には、このフェスティバルが彼の長年の心の奥底の熾火のようなものだったのだろうと感じさせられました。
1960年代後半といえば、この映画でも語られているように、大変な時代でした。
今や多くの日本人が信じないだろうけど、日本にも…少なくとも東京や大阪京都あたりでは、同じような空気が流れていたのです。
ケネディ大統領暗殺、キング牧師暗殺、ベトナム戦争泥沼化の後終戦、プラハの春とその終焉、ロバート・ケネディ暗殺、反戦運動、ヒッピーカルチャー、フラワームーブメント、日本でも学生運動…
Rストーンズは"ホンキートンクウィメン"、ビートルズはなんだったっけ、"ゲットバック"に"カムトゥギャザー"か。
そんな中で行われた"ウッドストック“はラブアンドピースのコンサートでした。ジミヘンがアメリカ国家を機関銃の音のようにアレンジして演奏したり、ジョーンバエズが反戦歌を歌ったりしましたが、基本的にフリーラブやマリファナや、自由を謳歌するようでした。
こちらはもっと厳しい状況にあるので、ベトナム戦争でも最前線に送られるのは黒人が多いとか、アポロなんとか号の月面着陸のニュースを聞いても、そんな金があるならハーレムの黒人たちに使えという声が作品中にも流れます。
無論当時はまだ公民権運動が1964年にようやくみのり、法制定されたばかり。
公民権法ができても、差別がなくなったのではなく、特に南部では差別も先鋭化、キング牧師も暗殺される。
非暴力運動では一向に好転しない状況にブラックパンサーが生まれ、過激な行動を起こす。
作品の最後に登場した、ダシキというのかオレンジ色のアフリカ民族衣装にエスカルゴにちょうちょが止まったみたいなヘアスタイルの、圧倒的迫力のニーナ・シモンが“Are you ready?"
と歌いかけ、「誇りのためになら人を殺す用意はあるか?」と30万人のオーディエンスに問うシーンがあります。
この容易ならざる言葉が、"ハーレム・カルチュラル・フェスティバル"の全てではないにしろ、時代を背景とした性格をしめしているように思いました。
コンサートはそんなに剣呑なことはなく、次々にまさにソウルフルな、見事な、美しく力強い音楽に満ちているのですが。
作品半ばにはかなり長い時間がゴスペルに割かれます。
なくなる1、2年前でしょうか、マヘリア・ジェクソンが、当時すでに伝説的なゴスペルの女王でしたが、いかにも体調が悪そうな表情ながら、その声は力強く、彼女もまた魂そのものの歌を聞かせます。
体調が悪い彼女を助けるため、当時それほど有名ではなかったらしいメイヴィス・ステイプルが、女王とデュオをする光栄に喜びを全身で表し、歌います。このシーンも素晴らしかった。
ブラックミュージックは元々黒人の苦しさの中から、また生活の中から生まれたものですが、音楽界全体が時代のうねりに呼応して盛り上がっていたごとく、ブラックミュージックもさまざまな変化を見せます。
まだ若いスティービー・ワンダーや、おっ、という出演者はたくさん。
5thでメンションの美しいハーモニーにも心動かされました、4歳のオーディエンスだった坊やと同じく。
いかにオババかわかるから大きな声じゃ言えないけど、ワタクシ"アクエリアス"歌えちゃう。
"マイ・ガール“も、スライの"ハイヤー"も歌えちゃう、全コーラスは無理だけど歌える。
(お願いだからもし、先々高齢者施設に入ったとして、「さあお歌の時間ですよ」って時、細川たかしとかじゃなくて氷川きよしでもなくて、5thディメンションとかストーンズとか、せめてビートルズを歌わせてね)
大好きな…でもしばらく忘れていた曲の数々に再会できて、私も4歳だった彼と同じように泣きそうになりました。
これがどうして60年もお蔵入りだったか…
というのは上記にコピーした記事にありますが、やはり黒人だけ(スライのグループなどには白人もいるけど)のコンサートに当時は関心が払われなかったのでしょうか。
フィルムが無くならなくてよかった…
わたしもウッドストックは知っていたけど、これは全く聞いたことがなかった。
でも、曲はよく知っているものも多かったので、不思議です。
思うがままに書いたらまた長文だわ…
では、ご飯を作るとしよう。
読み返してないからヘンかもしれません…
追記。
今日でもプレミア・リーグでは試合前にブラック・ライブズ・マターをニー・ダウンして示しています。
あれから差別は無くなったか?
法制上は整えられたとはおもうけど、人種間、民族間の断裂は大きく深刻になっているように思う。
まず、この作品で公民権法制定当時の時代を見て、差別と戦うこと、声を上げること、誰にでも平和に生きる権利があることを思い返すのもよいかと。