年末に観た映画〜「天才ヴァイオリニストと消えた旋律」

昨日のことも忘れてしまうようなポンコツ記憶力なので、年末に観た映画なんてもう…

ですが、諸々の事情で見る機会の少ない劇場映画なので、一応記録しておきます。

 

天才ヴァイオリニストと消えた旋律

監督 フランソワ・ジラール

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例によって映画.comからお借りします。

 

海の上のピアニスト」のティム・ロスと「トゥモロー・ワールド」のクライブ・オーウェンが共演した音楽ミステリー。1938年、ロンドンに住む9歳のマーティンの家に、類まれなバイオリンの才能を持つポーランドユダヤ人の少年ドヴィドルがやって来る。マーティンと兄弟のように育ったドヴィドルは、21歳でデビューコンサートの日を迎えるが、当日になってこつ然と姿を消してしまう。35年後、コンサートの審査員をしていたマーティンは、ある青年のバイオリンの音色を聴き、がく然とする。その演奏はドヴィドルにしか教えられないものだったのだ。マーティンは長い沈黙を破ってドヴィドルを捜す旅に出る。監督は「レッド・バイオリン」「シルク」のフランソワ・ジラール。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのハワード・ショアが音楽を手がけ、21世紀を代表するバイオリニストのレイ・チェンがバイオリン演奏を担当。

2019年製作/113分/G/イギリス・カナダ・ハンガリー・ドイツ合作
原題:The Song of Names
配給:キノフィルムズ

 

原題は"The Song of Names"、こっちの方がずっといい。

邦題はまあストーリーをわかりやすく表現しているけど、作品の本質からすると薄っぺらくなってしまった。

"The Song of Names"に込められた悲痛で哀切な感情、鎮魂の意味、そして未来永劫まで記憶すべき民族への犯罪、断罪というよりは記憶することの重み。

これらのことで作品はほとんど語られているとも言えるでしょう。

 

監督のフランソワ・ジラールという人には、残念ながらわたしは未見なのですが「レッド・ヴァイオリン」「シルク」などの作品があり、音楽をテーマとした映画が得意であるようです。

この作品も演奏の好みは置いといて、音楽がテーマとしてしっかりしていて、俳優の演技は抑えたものですが、その音楽の哀切な苦痛に満ちた音色で胸を打ちます。

主人公ドヴィドルは素晴らしい天才少年ではありますが、生い立ちや環境もあるのか、かなりわがまま勝手、彼が寄宿する家の少年マーティンを振り回します。マーティンは最後の最後までドヴィドルに振り回されまくりますが、ドヴィドル出奔の35年後に邂逅し、ドヴィドルが選んだ生き方を受け入れて…おそらく心のうちに言い尽くせない傷や感動を封印して、静かな生活に戻るのだろうと思われます。最後に妻の思いがけない告白(作中ではなんかあったかな?と思わす態度が見えるけど)にさざなみはたちましたが、それも遠い過去のこととして心の奥にしまわれるでしょう。

 

この作品のもう一つの大きなテーマは第2次大戦中の、ナチスドイツによるユダヤ民族へのホロコーストです。

それがなければドヴィドルも行方不明になったりしなかったのでしょうが…

ただ、この作品はナチの犯罪を告発するような映画ではありません。

声高に反戦とかナチスドイツ許すまじとかいうのではなく、他者による苦難に直面した人が、どう生きるかということがテーマのようです。

 

彼の苦難に満ちた歩みは、ポーランドに残してきた両親、妹たちがナチスドイツによって収容所へ送られたらしいことを知り、深く案じる彼が、演奏会のその日に、「タクシー代がない」ためにバスに乗って、偶然が重なり、ユダヤ人の集まるシナゴーグに導かれるところから始まります。

そこには、収容所で迫害によって死亡したユダヤ民族の一人ひとりの名前が、その家族ごとに記録された書物というか楽譜があります。

収容所では書き留めることができなかったので、まず歌でラビたちがそれぞれ家系ごとに記憶し、それを書物に書き留めたのです。

ユダヤ民族では、自分の死後その名を忘れられ、まつろわぬ魂になることが一番の恐怖なので、とんでもなく多くの死者の名を、ラビが記憶します。

そんな死んじまったらおしまいっしょ、というのは現代人で、魂の不滅を信じる人は今も少なくないでしょう。

 

で、不安に既に震えているドヴィドル・ラパポートは、ラビの歌う…喉から血を吐きそうな歌声による「死者の名前の歌」に聞きいり…

ついにラパポート家の、両親の、愛しい妹の名前を、言い難い悲痛な調べに乗って、知らされることになります。

ラパポート家の人々は、イングランドにいるドヴィドルを除いて、死者となっていたのでした。

どれほどの衝撃だったか、彼と同じ才能あるヴァイオリニストだった青年も家族を失ったことを知り、精神を痛めて、ついに治癒することはありませんでした。

 

このラビの歌う「(死者の)名前の歌」を、失踪したドヴィドルは、収容所の跡地でヴァイオリンで演奏して、死者を弔うことを戦後に生きる目的とします。

そして、一度は信仰を捨てた彼が、ラビの道を歩むことになります。

彼は天才と謳われたヴァイオリンを捨てました。

おそらくドヴィドルにとって、天才であることはある意味日常的なものです。非日常的な悲劇の前に、それを捨てることは、そんなに大きなことではなかったのかもしれません。

 

 

この作品は思ったよりずっとユダヤ教の色が濃く出ていました。

 

 

「アダムは130年生きて、彼の似姿として、彼の形に男の子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。

…アダムが生きた全生涯は930年であった。こうして彼は死んだ。

セツは105年生きて、エノシュを生んだ。

…セツの全生涯は912年で会った。こうして彼は死んだ。

エノシュ90年生きて、ケナンを生んだ。

…エノシュの全生涯は905年であった。こうして彼は死んだ。

ケナンは70年生きて、マハラエルを産んだ。

…ケナンの全生涯は910年であった。こうして彼は死んだ。

マハラエルは・・・・・

レメクは182年生きて、一人の男の子を生んだ。

彼はその子をノアと名づけて言った・・・」

 

多くの箇所を割愛していますが、聖書の創世記5章、神に造られたはじめの人間アダムから、箱舟で知られるノアまでの歴史です。

(生んだ、と書いてあるけどみんな男ですから。産んだのは妻たちだけど、当時女は数のうちに入れてもらえなかった。それと、馬鹿に長生きなのは、なぜかわたしは知らないよ〜)

この前の4章にも既にカイン(最初の人類アダムの長男)の家系が出ていて、これが聖書にある家系の初出でしょう。

新約聖書マタイの福音書も、冒頭はイエス・キリスト系図がずらら〜っとあって、「聖書でも読んでみっかな」と思った人を、まずは困らせます。

ユダヤ教では新約聖書は使わないけど)

何千年も前から、ユダヤ民族にとって家系は大事だったのでしょうし、このように記憶すべきことは、ユダヤの律法を、「額に貼り付け、胸に下げて常に唱えよ」というような記述があることからも、記述と記憶をものすごく重んじる人々であると思います。

 

と、改めてそんなことを思い巡らさせられた作品でした。

 

ティム・ロスが抑えたいい演技をしていました。

ストーリー上は

「どうしてタクシー代、彼女に借りなかったの?」

それと、会わせる顔がなかったのか、子どもの頃のまま自分勝手だったのか、マーティンに電話の一つくらいしてもいいのに、と思わなくはない。

という疑問は残りますが。