最近読んだ本〜「ホンモノの偽物」「物語 近現代ギリシャの歴史」

本を読んでいないわけではないけど、遅読すぎて読み終わったらもう忘れてる…

情けないノーミソです。

今回はなんとか忘れ果てないうちに記録しておきましょ。

 

まずは、

ホンモノの偽物 模造と真作をめぐる8つの奇妙な物語

リディア・パイン著 

菅野楽章訳

 

     

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序の冒頭に「偽物(フェイク)に騙されたいという人はいないが、騙された人の話を聞くのは誰もが好きなものだ。」とあります。

ふ〜ん、そうなのか。

実はわたしも騙された人の話が好き…というより、贋作を拵える人に興味を惹かれます。

最初は、「フェルメールになれなかった男」(フランク・ウィン著)を読んで、ファン・メーヘレンという贋作絵師、このなんかサッカー選手にいそうな名前の男がナチスの高官をも欺き、夢中にさせたという20世紀最大の贋作事件を引き起こしたと知って、とても驚き興味を持ったのでした。

確かにフェルメールには「マリアとマルタの家のキリスト」や「ディアナとニンフたち」のような古典的宗教的な作品が1点づつ残されていますが、ほとんどはフランドル地方の市民たちの日常的な様子や、商人の肖像画や生活の描写だったりします。

なんかもうちょっとまだ見つかっていない初期作品に、宗教画的なものはあってもいいんじゃないか…うんにゃ、あってほしい!

の、願望に見事に答えたファン・メーヘレンの「エマオのキリスト」は熱狂を持って迎えられたのでした。

 

そういう「あってほしい」、それを「自分のものにしたい」という願望が贋作を産む土壌となっているように思います。

 

しかし、「ホンモノの偽物」においては、理由や事情はもっと複雑で…

「ホンモノとは何か」「偽物とは何か」を問うものと言っても良いようです。

ルイ・ヴィトンの偽物は偽物そのものでリアルとフェイクの違いははっきりしていますが、アンディ・ウォーホールの死後発見された、シルクスクリーンのネガ(アセテートというんだって)で、専門の刷り師が刷った作品は、本物か。

元々ウォーホールのような作品は、着想がオリジナルでも製作は彼自身でなくてもできるようなものが多く、彼の死後、そのような本物かフェイクかわからない作品が多出して、ウォーホール財団は鑑定をやめてしまったそうです。鑑定済のものだけ彼の真作としたということですが、その後も「ウォーホール作品」は、幾つも出てきています。

 

と、序に書かれたことだけでこんなに字数を使っちゃった…

 

で、当然ながら昨今世界を席巻している言葉「フェイクニュース」も序には触れられていますが、この書物には含まないことを明言しています。

この言葉だけでも本1冊分は軽く書けますし、フェイクニュースは本書で扱われる目で見たり触れたりする物ではなく、事象ですから、当然なのかなと思います。

この「フェイクニュース」とこの本に書かれていることは、全てではないにしろ、繋がっている部分もあるとも思いますが。

 

驚いたのは、そもそもフェイクであるはずのものが評価され、美術や骨董品市場(正しい言葉知らない)に出回っているということでした。

スパニッシュ・フォージャーと呼ばれる謎の画家の作品です。

名前もよくわからないこの作家は、19世紀末から中世絵画の模造品を描いて売っていて、現在でもその作品が市場に出て、オークションにかかるとか。

無論、中世絵画としては全くの偽物ながら、彼(彼女?)の作品はそれとしてなかなかの出来栄えなので、高値がつく収集対象となっています。

 

ウィリアム・ヘンリー・アイアランドは18世紀にシェイクスピアの署名を偽造し、戯曲をでっち上げ、でっちあげを告白したにもかかわらず、人気を博して、これも高値がつくんだってさ。

好事家のすることは、あたしゃわからん。

スパニッシュ・フォージャーの絵は、くれる人がいたらもらう。

 

二人(スパニッシュ・フォージャーの方は一人とは限らないかな)のフェイクがリアルになった例です。

 

全8章のうちには、化石に夢中になったバイエルンのヴェルツブルグ大学医学部教授長が、仲間のいたずらにころりと騙された、笑ってしまうような教授長には気の毒な話とか、「本物の」ダイアモンドを作ろうとした苦心惨憺の歴史など(現代では分子上『本物の』ダイアモンドが、ジュエリーショップや工場などで見られますね)、ガムだかキャンデーだかのフレーバーをいかに本物にするかとか、鯨の体の展示をするのにいかに本物らしく作るかとか、最後の章には、旧石器時代の洞窟を保存するために作られたレプリカの話とか、多岐にわたって「本物とは?フェイクとは?いかなるあり方が最善なのか?」が語られています。

 

人は見たいものだけ見てしまう…

これは、常に心しておくべきことかなと。

また、ガムのフレーバーのように、鯨の体のように、ダイヤモンドのように、似せて作るだけでなくその過程で得られることもある。自然と付き合う時には、「本物」でありさえすれば良い、というものでもない。

などと、あれこれ思い巡らすことの多い書物でした。

 

 

あれま。

1さつで2000字以上か…次はもう少し簡潔に←怪しい。

 

 

次に、

物語 近現代ギリシャの歴史 独立戦争からユーロ危機まで

村田奈々子

 

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物語歴史シリーズの近現代ギリシャ編です。

なるべくよく知らない国の歴史を選んでいるので、前回のフィンランド同様、基礎知識に乏しくて、苦戦しました。

まずもうこれは老化現象なんだけど、名前が覚えられない。

フィンランド史なんか、申し訳ないことに「メシがまずい、それも世界一」ということしか頭に残らなかった…でも最近フィンランドのオサレなカフェが東京にも開店したそうだから、彼の国も変わっているのでしょう。

 

そんな貧困なノーミソでも、何かしらほほう〜となる知識を得られるものです。

 

近現代ギリシャと言って思い出すのは、テオ・アンゲロプロス監督。

旅芸人の記録」は、近々閉館するという岩波ホールで見ました。

4時間もかかる長大な作品ですが、非常に印象深いものでした。

ギリシャといえば「エーゲ海に捧ぐ」とか、ジュディ・オングが手を上げると半円形になるドレスを着て、なんか歌ってたがごとく、紺碧の海、白い家、意味もなくカラフルなパラソル、太陽が燦々と…とステレオタイプなイメージしかなかったのを、全否定するような暗さ、残雪でしょうか道もジクジクしているようで、どんより低い空の下、ギリシャ悲劇を下敷きにした旅芸人アガメムノン一家の苦難の歴史が綴られます。

 

旅芸人の記録」は1932年から1952年までの一家の歴史とギリシャの内戦、ドイツ軍との戦いと敗北、戦後の軍事政権下での迫害という戦いと挫折と、屈せぬ魂の歴史を描いています。

 

この「物語 近現代ギリシャの歴史」もほぼこの通り。

 

ただ、気付かされたことは、確かにギリシャという国は歴史上、1830年オスマントルコからの独立まで存在せず、「ギリシャ人」という国民も存在しなかったということです。

日本はギリシャ地域、豊かな文化を持つヘレニズムの地域からは遥かに遅れた辺境にありますが、中国が近く、その影響を強く受けたので、中国的な中央主権国家を大和政権は目指し、ちっこい国ながらのゴタゴタはあっても、少なくとも中央政権を持ち、江戸時代以前でも近畿関東、九州四国近縁くらいまでは一国としての意識を、下々は知らないけどある程度の地位にある人は持っていただろうと思われます。そのせいで「よらば大樹の陰」とか「親方日の丸」とかのウダウダした意識も浸透してしまったのでしょうから、どちらが良いとか悪いとかではないのですが。

しかし独立したギリシャの国土にいる人よりも多くのギリシャの人がその周辺諸国にいたのでは、独立国家としての出発は大変です。

しかも元々あった国が再興されたり解放されたのではないので、住民にギリシャ国民という意識は薄く、むしろヨーロッパのフランスやイギリスの知識人(バイロンのような)が、ギリシャ独立に熱心でした。

どこでもそうだけど、外交というのは大概自国の利益のために行うので、ギリシャの独立をヨーロッパ列強が最初から支持していたのではなく、オスマントルコがロシアの西進をふせぐ盾になるのを期待していたようです。

ギリシャの歩みはこれからずっと列強の思惑に左右され、また時には利用し、時には蹂躙されて行きます。

ギリシャ庶民の共通の価値観はむしろギリシャ正教で、首都を決めるにもコンスタンティノープルを望む人が多かったようです。

アテネを首都に、というのはヨーロッパの他の国の知識人の古代ギリシャの栄光を思うロマンだったと、皮肉なものです。

 

第3章のギリシャ語が国家を引き裂き、内乱にまで発展したというのも驚きでした。

福音書事件」「オレステイア事件」というもので、簡単にいえば元々公文書や聖書や正式なものに使われていた日本的にいえば文語体(純正語カサレヴサ)ではない、庶民の言葉(ディモティキ)で福音書やオレステイアを訳して発行したことが、大事件になったそうです。

これそこが純正ギリシャ人のアンデンティティーに関わるらしい。

わしらにはわからんことですなあ…

この二つの言語問題はこの語長く続くので、やっぱり世界でも最も古い部類の言語には、それ相応の難しさがあるようです。

 

 

「メガリイデア」という思想でようやくまとまってきたギリシャですが、その実現は叶わないうちに内戦に次ぐ内戦で多くの命が失われ、カザンキスがその小説で「兄弟殺し」と呼んだ時代でした。

ガリイデアとは、古代に地中海諸地域に散らばって都市国家を形成し、やがてコンスタンティノープルギリシャ正教の中心として栄えたその版図に、今のギリシャを戻そうというものでした。

 

内戦の次は軍事独裁政権で、「旅芸人の記録」はその最末期に作られました。

1974年に軍事政権が崩壊し、ようやくさまざまな立場の人が一つにまとまる気運が生まれました。

その後はカラマンリス率いる新民主主義党EDと、パパンドレウ率いる全ギリシャ社会主義運動PASOKが交互に政権をとっています。

しかしどちらも経済政策に失敗し、国民にウケの良い政策ばかり取ったので、EU最大の債務超過国家に陥ってしまったのは最近のニュースでも聞いています。

ニュースを聞いた時には、人のせいにしないでちょっとは働きなはれ、と思ったけど仕事見つけるのも難しいのかもね。

この本は2012年発行なので、その後のギリシャについては書かれていないけど、新型コロナのこともあり、国家経済が好転しているとは考えにくいところです。

 

それでも、古代ギリシャの数々の遺跡だけでなく、アンゲロプロスマリア・カラスを生んだ国、ユーロで2004年に奇跡の優勝を遂げた国として、印象深いものなのではないかと思います。