オルハン・パムク「雪」

イメージ 1

トルコというと・・・何を思い出す?
この小説の作者オルハン・パムクという名前を見て、イルハンを思い出したのはわたしだけ?
ほかには?ハカン・ヤキン、ムラト・ヤキン兄弟・・・
小雨降る中、日本人をがっかりさせた人々・・・
ほかには?トゥンジャイ・・・って、フットボール選手ばかりじゃないですか!
後は・・・シシカバブ・・・トルコアイス・・・それから・・・昔々よからぬ場所の名前に使われていた・・・

まあ、外国人が「フジヤマ、ゲイシャ」というのと変わらない貧困な知識。

さらに思い出すと、Y.ギュネイという監督の「路」という映画があった。

さらに思い出す・・・と、いきなり新約聖書の時代まで遡ってしまって、
いわゆる小アジアと呼ばれ、使徒パウロが宣教の旅をして回った半島ということになります。

そんな乏しい知識しかないからこそ、2006年ノーベル文学賞を受賞した
トルコの作家オルハン・パムクの作品を読んでみたく、初めて手に取ったのでした。

感想をひとことでいえば・・・久しぶりに読み応えのある小説。
カルスという雪に閉ざされた、寂れた町でのほんの数日間のできごと。
その限られた時間と空間の中に、失意と恋と信仰と様々な感情と思惑が凝縮されています。
一応著者はこれを「政治小説」であると言っていますし、そういう内容でもありますが、
深く印象に残ったのは、成就しなかった愛でした。

トルコがEUに加盟するということで、議論がおるというニュースは聞いたことがありますが、
結局イスラム圏に属しながら、EU加盟国になるというのはそれ自体が
大きな矛盾なのかもしれません。
すでに国内にも動かしがたい矛盾をかかえていることが、この作品によく書かれています。
象徴的であるのは、主人公Kaが愛する姉とその妹、姉妹でありながら
姉は髪を覆わず、妹はスカーフで髪を覆っているのです。
妹はイスラム過激派のカリスマ的指導者「紺青」の恋人なので、
信仰の証として髪を覆っているのです。
この「髪を覆う」問題が主題と言って良いでしょう。
姉イペッキは、ありえない~と言いたくなるほどの美女で、実はKaにとって
それを知れば二度と立ち上げれないような、過去が・・・
実際そのイペッキの過去を知ったKaは、ほとんど死んだような4年間を生き、
彼を無神論者で裏切り者と見なした、イスラム過激派によって射殺されるのです。
文中に「政治的イスラム」「宗教的イスラム」ということばが出てきますが、
なんともわたしのような者には、分かり辛い言い方です。
おそらく平均的日本人は、イスラムといえば宗教のひとつ、と考えるでしょう。
実際はそんなに単純なものではないようで、
作品中でも 純粋な信仰心を表現しているのは誰か?と考えさせられます。

痛ましい最期をとげる主人公Kaは、
作品中で何度も「軽薄なヨーロッパ人のマネをする無神論者」と呼ばれます。
ここでもわたしがトルコについて、フジヤマゲイシャほどの知識しかないように
彼らもヨーロッパ人という括りで、偏見をあらわにします。
あることからドイツ、フランクフルトに亡命生活を送っていた詩人Kaは
ドイツ人には差別され、母国人にはヨーロッパかぶれと拒否される立場にいます。
無神論者というのは、それだけで罪深い者と見られるようですが、
これも有神論があってこその考え方で、現代日本人にはもっとも遠い世界かもしれません。
わたし自身は、無神論者ではないのですが、イスラム教徒でもないので
こんなにいつも喉元にナイフをつきつけられたような議論をしなきゃならないのは、
しんどいことだわ・・・と思います。

しかし作者はKaを無神論者として描いてはいません。
それどころか、もしかするとある瞬間には「髪を覆う少女」以上に信仰深いのかもしれません。
その瞬間とは、「詩がやってくる」時・・・まさに何者かにインスパイアされる時です。
ここに神なる存在から与えられたことばが、詩となって成就します。
こんなに宗教的体験はなかろうに、ほとんど誰にも理解されないまま
彼は失意のうちに死ぬことになります。

その詩人も恋には臆病で、卑怯ですらあったのかもしれませんが・・・

作品中に登場するうらぶれたあげく、狂気じみてくる演劇人とそのセクシーな妻、
信仰と恋と友情の苦しみにあえぐ宗教学校生、
様々な俗物、それぞれの人物像も興味深く読めました。

痛ましいという読後感でしたが、少しはトルコという国の良さや生きにくさも知り、
そして、「軽薄な欧米人や日本人」にはあまり見かけなくなった
恋にも信仰にも苦しみ悲しみぬく激しさが、大変好ましく思えたものでした。