オルハン・パムク「わたしの名は紅」

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とんでもなく時間をかけて読了。(写真はクリックしても開きません)
家庭のジジョーによりあちこちのウチに置きっぱなしになり、なかなか読み進めませんでした。

「雪」があまりにも面白かったので、この「わたしの名は紅(あか)」もすぐに入手してました。
「雪」は現代が舞台でしたが、これは1500年代後期のオスマン・トルコが舞台。
ムラト3世の治世。
ムラトと言えばヤキンといいたくなるのは、アホなサッカー好きの性?ちなみに、ハカンという弟がいたかどうかはわかりません。
日本で言うと、豊臣秀吉時代の末期でしょうか。
この時代、思えば世界がかなり流動的だったということになります。
日本もその後長い鎖国の時代に入りますが、このときはまだ海外貿易も盛んで、
秀吉が大勘違いをして朝鮮半島に攻め入ってしまったころ・・・
無敵を誇ったオスマン・トルコ帝国はレパントの海戦(1571年)で、ベネチア共和国とスペインの連合軍に敗戦を喫した後の王朝が、舞台になっています。

詳しくは
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1234.html

「雪」と同じく、これも殺人事件にまつわる話なのですが、単純な推理小説ではないところも同じです。
例によって絶世の美女とのロマンス有り・・・この美女がまた、自分以外は愛せないタイプで、主人公カラは苦しむことに。
しかしこの小説の一番のおもしろさは細密画家たちが語る芸術論、
特にレパントの海戦で歴史的敗北を喫した相手のベネチアルネッサンスの花盛り、
遠近法の発見により絵画が大きな変化を遂げていたところでした。
その影響を受けたトルコの細密画家たちの葛藤・・・

この小説を欧米の人はどう読んだかしりませんが、日本人であるわたしは「東」の人間で、東の絵画も高松塚古墳壁画から鳥毛立樹下美人図、源氏物語絵巻信貴山縁起絵巻、伝源頼朝図、狩野派、土佐派、長谷川等拍、雪舟菱川師宣・・・・きりがない。
などを知っていると同時に西洋の絵も好んでいるわけです。
どとらが良いとか、価値があるとかではなしに、どちらも好ましい絵画として見ているのです。
しかし、このオスマン・トルコでは、絵画はまずアラーの神が見たように描かねばならず、
遠近法のような人間の目で見た描き方は冒涜的なのです。画家自身の個性も出すことはならず。
しかし、表現者としての細密画師にとって、遠近法や自身の署名はとても誘惑に満ちたものらしい・・・
西の手法との出会いをどう考えるかが、殺人にまで至ってしまう・・・
その背後には、例によってイスラム原理主義者たちの圧力があります。

この作品も芸術論ばかりでなく、登場人物一人一人の個性が際だち、
子どものかわいさ残酷さまでも良く描かれています。
16世紀トルコ社会に生きるその名もエステルというユダヤ人行商人の存在もとても面白い。
なるほど、オスマン・トルコは当時あちこちで閉め出されていたユダヤ人を
寛容にも受け入れていたのです。
このエステルさんのたくましいこと。

さらにはこのオルハン・パムクという人、官能的な場面もなかなか読ませます。
それは超美人の女主人公シェキュレが一手に負っています。

この小説は1章ごとに語り手が変って一人称で語るので、最後までいわゆる客観的事実として示されるものはありません。
それも面白いのですが、シェキュレとカラはほんとうのところ幸せだったの?と、
聞きたくなるとしても不思議ではないでしょう。