戦争に代わる最良の代替物

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2016年オリンピック開催地はブラジル、リオデジャネイロに決定しました。
FC東京のサポーターは2016年東京開催を後押しする断幕を出していたので、
きっとがっかりしている人も少なくないのでしょう・・・と、他人事のように書いているのでは、それほど強く支持していなかったので。
夫は東京オリンピックを思い出し「思えばあの時、イビツァ・オシムのいたユーゴスラビアチームを見たおかげで、サッカー好きになって、こんにちの自分がいる。あれがなければ、こんなに苦しい目に遭わなかった。だからオリンピックなんかやらんでよろしい!」と、まったく八つ当たり。
ちなみに、子どもだったので、見たと言っても何も覚えておらず、オシムさんがいたことも後で知ったのだそうです。

さて、ペレをはじめリオの人たちの狂喜乱舞ぶりを見ると、リオに決まって良かったと思います。これはオリンピックなので、サッカーW杯ではないのですが、やはりブラジルの顔はペレなのですね。
そして、シカゴがオバマ大統領夫妻が応援にきたにも関わらず、最下位でした。
ここでおそらく意外に感じたのは、アメリカ人くらい?オバマさんのカリスマ性も全世界的ではなかったのかと思います。

などと思うのはポール・オースターのエッセイ集「トゥルー・ストーリーズ」に収録されている「戦争に代わる最良の代替物」を読んだからでしょう。
ポール・オースターはわたしの最近では一番好きな小説家です。
いつもあり得ないようでいて、その叙述を読むと深く実感させられる物語を書く人です。これはそのエッセイ集で、後半には短文が集めてありますが、どれも文章も内容もオースターの人となりをよく伝えるすばらしい小品群です。

「戦争に代わる・・・」は、その中の一編。
オースターは野球好きで、小説中にも大リーグのチームや選手のことがよく出てきます。野球オンチのわたしには、オースターの小説の中で唯一の困る要素なのです・・・これがイングランド人で、ガスコインだのシアラーだのだったらわかるのですが。
オースターはユダヤアメリカ人、ユダヤ人社会の習慣や旧約聖書の世界に親しんで育ったマイノリティーですが、スポーツの好みはまったくアメリカ人そのもののようです。
その彼が「ミレニアム」について書くよう依頼された一文で、サッカーについて述べているのが「戦争に代わる・・・」です。といえば、すぐわかるでしょう。
フットボール好きなら、それが国家間の戦争の代替物として、いわゆる愛国心やら相手国への敵対心やらを表出させるものだと。
オースターのその「発見」は珍しいものではありませんが、ここではアメリカ文化そのものの野球好きの彼が、フランスW杯を見た感想を述べているのが面白いと思います。
彼はサッカーをヨーロッパ式フットボールと呼んでいて、アメリカではそういうのか知りませんが、ちょっと不思議な言い方です。しかも彼の目にはサッカーはアメフトよりおとなしく見えるようです。そして、短パンをはいているというのが、もしかすると気に入らないのか?そう取れる文言は「短パンをはいた代理軍隊の遂行する擬似戦闘」というものだけですが・・・野球のソックスの下に裾を入れた長ズボンを見慣れた目には、ヘンに見えるのかも。しかし、彼はサッカーが、アメリカのどのスポーツも敵わない人気と影響力を持っていることは、彼一流の面白い言い方で認めています。

ところで、ミレニアムでどうしてサッカーなのか、それはミレニアムとは優れてヨーロッパの発想=キリスト教のカレンダーによるものだから、このミレニアムにヨーロッパはどこかで戦争をしていたが、第2次世界大戦後は幸いにも主要国間では戦争がなくなりつつある、それは・・・というもの。ただし、ユーゴの殺戮有り、完全になくなったというには苦しいのですが。ヨーロッパ全体を巻き込む戦争がなくなったのは確かです。
その代替物としてサッカーがあるのなら、ずっとそうであってほしいと願います。

このエッセイはオースターの中での珍しさから取り上げましたが、「トゥルー・ストーリーズ」には、もっと彼らしい控えめだけど深い思慮に支えられた愛に満ちたもの、徹底的に競争社会が嫌いらしく、自身の作品よろしく低いところ低いところに落ちようとする日々だとか、不思議な出会いに満ちた悲喜こもごもの経験などか美しい文章で語られています。