続々々・敗軍の将よ(以下略)~今頃2010年FC東京を振り返る
粘着質を露呈しつつ駄文を続けております。
どうしてこう無駄におしゃべりなんでしょうか?
老いの繰り言に近いですな、我ながら。
20節まで何文字費やしたか・・・
ここに至って城福さんの更迭もあり得たと書いたところでしたが、わたしは今でも城福さんが好きですし、そのときも解任すべきだと思っていたわけではありません。
なんとか監督も選手も問題を整理して、できないこと(人)は諦めて、できることから立ち直って欲しいと切に願っていました。
さすがに次の神戸戦では今野をCBに戻し、いかにも残留を争うチーム同士の試合をして、結局勝てず。
しかし改めて思い出すと、運も非常に悪かったようです。ナビスコのようなメンタルでプレッシャーの少ない試合も内容は悪くなくても勝ちきれず、浦和戦では高橋秀人が怪我で早い時間に交代、たぶん代表帰りだった今野が出場することになり、スズタツ、羽生までも怪我でした。
勝てない試合が続きました。選手は頑張っているのだけど、気力も体力も続かなかった・・・また負けるのでは、失点したら追いつけないのでは、ドローで推移したら持ちこたえられないのでは、と、わたしも試合を見ながら思ったけど、選手もそうだったような気がします。
23節アウェージュビロ戦は、わたしもある種の覚悟を持って行きました。サポーターが出来ることといったら、選手を励ますことだけ。あまり勝つ気はしなかったけど、とにかく励まして後押しして、負けたらさらに励まそうと・・・しかし、もうチームは機能しないのではないかとかなり絶望的な気持ちだったことも、今となっては認めます。
それまでも選手がそれぞれに自信を失っておそらく自分だけでむりやり頑張っているような場面を何度も見せられ、ジュビロ戦で起用した新システム4-1-2-3は、まったく機能せず、森重の周りはスカスカ、ジュビロが楽しそうにサッカーをするのを見る羽目に。
試合後に歌った「ユルネバ」は、その辛さを伴って忘れられないでしょう。
スタジアムで見かけた村林社長はなにやらにこやかでしたが、結局この試合を最後に城福監督はFC東京を去っていきました。
わたしが城福さんに聞きたいことのまたひとつは、広島戦からジュビロ戦に至るまでのこれ以上なさそうな試行錯誤について今どう考えているか、ということです。
ジュビロ戦後のコメントでサポーターに賛辞を送ったくれたのは、監督として当然なのかも知れませんが、城福さんらしいことばで忘れられません。
24節から指揮を執った大熊さんに与えられたリーグ戦は10試合、16位で引き継いで16位で終わらせました。
大熊さんがJ2から昇格した頃のサッカーをするとは思いませんでしたが、現役監督の頃城福さんとは全く違うサッカーをした人を再び招聘することには、ちょっと違和感を感じました。
城福さんの理想が破れたことは確かです。
でもやっぱりわたしの応援するチームは、勝ちゃあいいんだってサッカーはしてほしくない。
もどかしくも東京はもう一歩?いや2,3歩のところまでは巧くなっていたと思うのです。
ただゴール前ではリーグ1,2にへたくそ?
点が獲れなきゃ勝てないんだからダメじゃん。ってことになるのですが。
ともかく、J2でもきちんとパスを繋ごうとするチームが少なくありません。志は大事です。
なんてことをぼんやり考えていましたが、さて、大熊さんは守備はリトリートするところなど意識があるのかなと思いましたが、城福さんと大きく変わることもなく、というかチームを良い方向に大きく変えることはしませんでした。
選手起用についても疑問は残ります。怪我もあったかもしれませんが、どうして羽生を使わなかったのかしら?
28節清水戦で米本が戻り、相手はお得意さんとはいえ良い試合をしましたし、少し風通しの良い試合をするようにはなっていましたが、無残な最終戦の記憶が鮮明なせいか、今季もちょっと心配しています。
相手のモチベーションが低かったこともありますが、天皇杯千葉戦などは城福さんのサッカーを見るような場面が多くて、嬉しいような複雑微妙な気分に・・・
最終節の失敗だけでも非常に責任があると思うのですが、フロントは大熊さん続投を就任と同時に決めていたようです。
今季はもっと大熊色を出してくれるのでしょう。
期せずしてジェフの試合で、J2のスカウティングは相当にいたしました。
だ~れも期待していないだろうけど、しつこくも次回はJ2の闘いについて書いてみます。
それにしてもキャンプから天変地異に阻まれそうになるとは・・・