松田直樹選手を思う・・・

松田直樹選手が、昨日みんなの願いも空しく、逝ってしまいました。
彼について、一番に思い出すのは・・・
2006年4月26日、ナビスコカップ予選のマリノス戦。
東京はガーロ監督の時、うまくいかない試合が続いた中、この試合の東京はわりと良かったのですが・・・後半、ボールを奪われ、松田に走られて土肥の頭越えのすばらしいループ気味のミドルシュートを決められたのでした。
あのきれいな軌道を描いたシュートは忘れられません。
もちろん、つい最近までマリノスのDFとして東京の攻撃を何度も阻止した厄介な相手でした。
 
でも東京サポーターにはもっと新しい松田選手の姿が目に焼き付いています。
 
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2011年4月3日、松本アルウィンスタジアムで行われた東日本大震災のためのチャリティマッチ
ここで、マリノスから移籍した松田選手が松本山雅の選手としてプレーするのを見ました。
忘れられないのは、平山からだったでしょうか、厳しいプレーでボールを奪ってそのまま地響きをたてそうな勢いでドリブル。
東京の選手はつていけず、一人で東京のアタッキングサードまで持ち込んでしまいました。
得点にはならなかったけど、松田直樹ここにあり、というプレーでした。
 
神さまのなさることは、時にわかりません・・・
こんなに若く情熱に満ちた人の命が、こんなに早く失われていいものか・・・
しかし、わたしのように馬齢を重ねてきた者は思います。
人生のすばらしさは必ずしもその長さだけでは語れない・・・
松田選手の人生は短いながらも、誰にもひけをとらす充実したものであっただろうと・・・
 
松田選手のサッカー界に残した足跡は、語り続けられるでしょう。
 
もっと長く活躍して、とてもすばらしいサポーターのいる松本山雅をJリーグにあげて欲しかった・・・とは思います。
松本山雅の選手やサポはなおさらでしょう。
マツの思いに応えて、松本山雅がJリーグに上がってくる日を待っています。
 
松田選手のご家族に天来の慰めがありますように。
ご冥福をお祈りします。