富山旅行② 富山旅行の目的は廻船問屋!

8月28日~29日、富山に短い旅行をしました・・・富山なら黒部ダムとか立山とか見所はいろいろあるでしょう。
でもなぜかワタクシどもの旅は、少なくとも90分は拘束されるのです。そのため時間がなくて、行ける所が限られる、非常に効率のよろしくない旅なのです。
28日の昼頃着いて、若干名の青赤い服を着た方々と富山城(址)を見て、翌日は廻船問屋森家を訪ねることに。
 
実はワタクシ、廻船問屋に興味があって・・・宮崎でも行きました。ここ↓
 
 
歴史家の網野善彦の著書が好きで、彼の「日本の歴史を読み直す」に、能登半島の廻船問屋について書かれたものを読んでから廻船問屋に興味を持ちました。
それまでは「水戸黄門」にキンキラの羽織を着て出てくる強欲な金持ち・・・というワンパターンなイメージだったのですが。
廻船問屋(回船問屋)の活発な活動により日本は、教科書のイメージよりずっと物流が盛んだったこと、多くの富を蓄えながら、江戸幕府により廻船問屋も「水呑み百姓」という身分に分類されていたこと、水呑み百姓とは、自分の土地を持たない民を称することばで、貧乏とは限らないなど、非常に目を開かれることが網野の著書には書かれていました。
 
で、富山の廻船問屋に行くには、JR富山駅からライトレールに乗って岩瀬というところへ行きます。岩瀬には廻船問屋が軒を連ねていたそうです。
宮崎の美々津と違う所は、今もそのお宅に子孫が住まわれて、ご商売なさっているところ。
美々津はもっと寂れて哀愁が漂っていました。
 
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   富山の都電、ライトレール。青赤緑紫黄とあるはずがこの日は黄は修理中。とほほ。
(夫のコメント。どんだけ黄色に執着?BABEにお土産は黄色のライトレールのチョロQ)
 
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お船と商いで大儲けした森さんのお宅。
北海道へ米を運び、昆布ニシンなどを積んで帰り、それを売りさばく。
大阪方面にも行って瀬戸内海や関西の物資を運んだそうです。
 
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森家の来客用おトイレ。
屋久杉で作られた「世界遺産のトイレ」だそうです。
実際に使ってOK.
 
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森家のご立派な金庫。
飾り金具に菊のご紋章が入った扉。「ここを撫でればパワーがもらえます」と案内のオバサマに言われましたが・・・試合前に行ってナデナデすればよかったか・・・
 
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入り口からすぐにある座敷。母屋のオイというらしい。
左の袢纏姿の人が案内のオバサマです。とても名調子の説明でした。この方も森さんなのだと思います。ちなみに、岩瀬の廻船問屋で森家はナンバー3だそうで、ナンバー1のお宅は全国の長者番付上位にランクインしていました。
囲炉裏を囲んで向こう側に主が座って・・・など説明されているところ。聞いている方々の中に青赤サポ数人。
 
上を見上げると・・・
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見事な吹き抜けの梁。
明かり取りから光が射しています。
 
オバサマの説明は尽きることなく続くので、失礼ながら挨拶もそこそこに出ました。
 
すると向かいに
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「三角どらやき}!!!
店構えも趣があります。
が、定休日・・・
がっかりするもお土産物屋で発見。
 
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長方形のものを半分に切った形。袋には二つ合わさって、長方形になって入っていたけど、ひとつ食べちゃったので、こんな写真に。
どらやきというよりあんこ巻という感じ。素朴な味でした。
 
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お船です。たまたま青森の北前船が再建されて当時の海路を航行したニュース見ました
(岩瀬の街の真ん中に回船の銅像がありました)
 
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港の展望台から見た岩瀬の見事な黒瓦の町並。
 
岩瀬の町は、廻船問屋だったお宅がそのまま今も住居として使われ、廻船ではないでしょうが商売もされているので、静かに息づいていました。
 
 
またライトレールで富山駅に戻ります。
お昼はこんなの。
 
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ヘルシー手まり寿司セット。何も京都に引き続き手まり寿司にすることもないのですが・・・
富山のおそうめんも食べたかったので・・・茶碗蒸しが意外にもおいしかった。
夫は王道海鮮丼。写真撮るの忘れた・・・
 
そして、越後湯沢経由、大宮から立川へ。
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金沢から越後湯沢を繋ぐ「はくたか」。
 
これで勝ち点0の旅おしまい。
でも試合以外は楽しかった。