「ん」日本語最後の謎に挑む

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しつこいですが、クリックしても中身は読めません・・・Amazonから借りてきた画像です。
 
イングランド・プレミアリーグを見ていると、アフリカ系プレーヤーの中に時々気になる名前があります。もちろん、彼らにはたぶんごく普通の名前で、たとえば「中田」とか「本田」とか「長友」とかがヨーロッパ語系の人たちには聞き慣れないのとそう変わらないのでしょう。
が、リバプールに在籍後ボルトンに移籍した"N'Gog"の名前を、どう発音したらいいのか困るのは、日本人もイングランド人も同じようです。ウィガンからアストン・ヴィラに行った"N'Zogbia"に至っては、Wikipediaで見たらこんな話も・・・
 
しかし2009年2月2日に、ライアン・テイラーとのトレードで突如ウィガン・アスレティックに移籍。契約期間は3年半。キニアー監督がTVでエンゾクビアの名前を「Insomnia(不眠症」と誤って発音したことに腹を立てたのが背景にあると報道された
 
 
なかなか洒落た間違いだわ・・・なんて言ってはいかんです、名前を間違えるのはどの世界でも失礼でしょう。でもこれわざと?
 
Nで始まる言葉に初めて出会ったのは、高校生くらいの頃読んだアフリカ紀行に紹介されていた、タンザニアの自然保護区「ンゴロンゴロ」でした。ヘンなの~今までに聞いたことのない音の配列だと思いました。
漫画では「んが~」とか擬音がついたりしますが、日本語には語頭に「ん」のつく言葉がないことは、国語学を専攻しなくても「しりとり」遊びをしたことのある人ならわかります。
わたしはこんないい加減な文章を書き殴っているのに、どういう訳か国語学専攻だったので、この本に書かれていることはだいたい知っていましたが、久しぶりに読んでみると改めて面白く感じました。
詳しい内容は、好きな人は好きだけど嫌いな人には苦痛でしょうからやめておきます。
 
少し触れると、平安時代「ん」は下品な音だったとか。
今でも「~なんです」より「~なのです」の方がオフィシャルですね。
知人に会話でも「~なのです」しか使わない女性がいて、「それは○○さんがお買いになったのですか?そうなのですか。わたしはまだ持っていないのです」などと言うのが、まるで日本語学校の優秀な生徒のように思えました。
 
ともかく語頭に「ん」のある"N'Gog""N'Zogbia"などは、「ヌゴグ」「ヌゾグビア」と表記するか、TV放送ではイングランドの発音に従って「エンゴグ」「エンゾグビア」と呼んでいます。
ヨーロッパ語でも語頭に「ん」のつく言葉は希なようで、"N"を「エン」とそのまま読んでいるようです。
最近夫が読んでいた「半分のぼった黄色い太陽」という小説も、作家はナイジェリアの「チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ」という女性です。作中人物の名前にやはり苦労したとか。
こうしてみるとアフリカ語系では"N'"で始める名前は珍しくないようです。
 
この本の後書きにあるように、広東語では多くはないのですが「ん」が語頭にくることがあります。「」という名字は「」と読むので、日本式に呼ぶと「んさん」になってしまいます。
「吾」は「んご」と読み、「ンゴ ハイ ヤップンヤン」で「わたしは日本人です」という意味です。でもこのNは強調して発音するのではなく、鼻に抜ける音で、わたしなどは下手くそだから「ゴ」になってしまいます。
「呉」さんは広東語圏以外の人にはやはり発音しにくいので”NG"「エヌジーと呼ばれたりします。エヌジーでもご本人にはNGではないようです。
 
本書によると「ン」はサンスクリットから来て、真言密教の教えの籠もった、深遠な言葉だそうです。
狛犬さんの口も「あ」と「ん」ですね。
その発祥については、わたしには正直分かったような分からないような感じなのですが・・・
上代特殊仮名遣いに関する上田秋成本居宣長の論争などは、むかし学校で聞きましたが、なかなか面白いものです。この論争では「主義の人」の旗色が悪い・・・感性の人のような上田秋成の勝ちです。
 
「ん」の由来を知ったからと言って、だ~か~ら~?と聞かれればそれまでですが、もともとは自身の文字を持たない民族が、自分たちの言葉をどう表記するかという工夫や、仏教のような外来の哲学をどう表現して自分たちのものにするかなど、先人の知恵に触れることも必要ではないかと思います。