2011年を振り返る③  「JEFらしい」とは何なのか考えてみました編

ふうんこのヒト、結構粘着質なんだな~と夫を再認識する今日この頃・・・
また来ましたよ、2011年を振り返るどころか、ず~っと昔から振り返っちゃってます。
若いジェフサポさんには読んでもらえると嬉しいです。
よろしければおつきあい下され。
 
 
2011年を振り返る。
 
第三回 「JEFらしい」とは何なのか考えてみました編
      バルサ化(笑・涙)」は無理でもいきなり「ストーク(へっ?)」は違うだろう。
 
 
2012年の体制・チームもほぼ明らかになり、サポコミ他で既に公表されているように、今年は木山監督の下で「JEFらしいサッカー=オシム時代=ボールも人も動くサッカー」を再構築した上でJ1昇格を果たすことが目標となりました。 古河時代からJEFを応援してきた年寄りとしては、「JEFらしい」とは何なのか、改めて考えてみました。
 
J2挑戦初年度の2010年を4位で終え、2年目のJ2となった2011年ですが、クラブは昨年以上の「J1復帰」への各方面からのプレッシャーに曝されたものと推測されます。おそらくはその結果なのでしょうが、「育成と勝利の両立」「J1でも戦えるチーム作り」「パスで崩す攻撃的サッカー」などは全て放棄、「とにかく昇格」だけが目標と化します。 これを、多分、大多数のサポも「二兎を追うから失敗した」「上がらなきゃ始まらないよね」と肯定的に受け止めたのではないでしょうか。 それはやっぱりJ2よりJ1のほうが良いですし、しかたのないことだったと思います。
私も、「奇跡の残留」は泣いて喜んだし、一昨年昇格逃したときは本当にがっかりしました。ただ一方で、古くからのサッカー好きとしては、最近のオシム時代と奥寺、永井、清雲、荒井、石井を擁して初優勝(76年、天皇杯と2冠)したチームがむしろ例外的に強かった、という捻くれた見方もどっかでしています。
 
この両チームの間には(85年の優勝チームも)35年の時間と日本のサッカー環境の劇的変化やサッカー戦術の大幅な進歩、選手個々の体力技術の大きな向上、など比較不可能な違いがあり、単純に比べることはもちろんできません。それでも76年と85年の優勝チームのしていたサッカーが個人的には今でも「らしい」サッカーとの思いは消えません。Jリーグ発足直後こそ熱心に応援しましたが、その後海外勤務もあり、スタジアムに行くことがほとんど無くなっていた私を再びJEFのサポに呼び戻したのは間違いなくオシムであり、その阿部や勇人、羽生、巻を中心としたサッカーでした。このチームの試合を見たときに真っ先に思ったのが、「好きな古河が帰ってきた」との感慨です。強引なのを承知でこの30年を跨いだチームの共通点を挙げれば、
 
   絶対に走り負けないこと、全員で徹底的に走ること
   若い選手の活躍(当時大学出が中心だったが高卒の積極的採用と育成)
       献身的なMF(荒井、宮内)
       強力なサイドアタッカー(奥寺、永井)
       執拗なマーカー(金子、石井、岡田、清雲)
       頑張るCF(吉田)
 
ということでしょうか。更に遡れば八重樫、宮本征勝時代からの「伝統」でしょう。最大の違いは、古河時代はやはり「堅守」がベース+速い攻撃で崩して得点というパターンで、オシムのような2列目、3列目の追い越し中心の攻撃的サッカーではありませんでしたが、これは時代の違いのように思います。(ブラジル型に対して東欧、特にポーランドのスタイルと思って見ていました)
オシムが結局リーグ優勝できなかったのは、奥寺クラスのアタッカー、金子・清雲クラスのCBがいなかったからでしょうね、勿論他チームとの相対的力関係に於いてですが。
 
日本サッカーの氷河期、不毛の時代の想い出に耽っていてもしょうもないので、この辺にして、最近のJEFはどうだったのか見てみましょう。
J2初挑戦の2010年は江尻が監督で、攻撃面では倉田、谷澤、工藤を中心に足元で繋ぐサッカー、所謂JEFのバルサ化計画でスタートしますが、「舐めたらいかんぜよ」と途中で失速、大味なサッカーに変えるも、前と後ろがばらばらになり自滅。ミルジの不稼動もあり守備も破綻、それでも何とか4位で終えましたが、上位直接対決にことごとく敗れ、アウェイでは相手に気合でも戦術でも負け、とても昇格できる内容ではありませんでしたね。
それではと、2011年は最初から大味で、とばかり電柱を揃えます。ミルジのロングスローも含め、開幕直後こそ、びっくりする相手に効果を発揮しますが、その後またも「舐めたらいかんぜよ」とアンチフットボールは前年より更に悲惨に破綻、ご承知の結果となりました。 失点を減らそうとブロック作り、リスタートが守備の基本だったようですが、これも相手に押し込まれる結果となります。 ドワイトは結局何がやりたかったのか、本当にこういうサッカーがやりたかったのか、今でも不思議ですし、クラブからもこの辺りの具体的な反省、説明はほとんどないように思います。 走力も落ち、技量も明らかに後退した印象です。「バルサ化」失敗したからと言って、いきなり「ストーク化」も出来ません。 なんか単純に練習不足?とも思えてしまいます。
 
 
イメージ 1
 
2005年からの得点・失点・順位の関係を見てみましたが、当たり前ですが、得点数と最終順位の相関が高い。失点数ももちろん順位に大きな影響あるんですが、それ以上に得点との関係が大きいように思います。J1時代も2006年の57点をピークに得点は低下し、失点はそれなりに減っているんですが順位は落とし続けました。 やはりJEFは攻撃サッカー、ゴールを増やすサッカーをするべきだと思います。
 
イメージ 2
 
 
次に時間帯別の得失点ですが、これも印象通りの数字です。ゲームの性格上後半最後の15分の得点・失点が多いのがサッカーですが、それにしても、2005年のチームは、後半最後の15分の得点が非常に多い。 2010年のチームも同様ですが、この年は後半中盤61-75分の失点が異様に多い(得失点差-3)のを終盤で取り返していた感じでしょうか。2011年のパターンは前半最後の15分の失点(いやなシーンがたくさんありましたね)を後半取り戻せないまま試合終了、という結果です。ようするに走りきれない、相手より先に足が止まってしまった、ということではないでしょうか。
 
イメージ 3
 
ゴールゲッターですが、これはどう考えればいいのか。これだけ選手が代わるとなんとも言いようがない気もしますが、去年は深井君の大ブレイクが目に付くと同時に5位以下の得点が非常に少ないのも気になります。どこからでも点が取れる形ではなく、2列目、3列目の攻撃がいかに少なかったか、ということです。それにしても阿部ちゃんの存在の大きさが得点源としても大きかったなあ。
 
さて、新加入選手も外人除き決まったようだし、今年はどんなフットボールを見せてくれるのでしょうか。 見てもいない新加入選手を好き勝手に希望的楽天的に解釈して、どう「JEFらしいサッカー」を再構築するのか、この時期のお楽しみは次回に。
 
 
次回に?次回もあるのぉ?
わたしが東京の2011年をちっとも振り返らないうちに・・・
宿題溜めているような気分ですが、わたしが振り返らなくたってシーズンは来ちゃうのさ。
と、言っておこう(--)
ちなみに、
最近のオシム時代と奥寺、永井、清雲、荒井、石井を擁して初優勝(76年、天皇杯と2冠)したチームがむしろ例外的に強かった、
これはその通りではないでしょうか?