セザンヌ パリとプロヴァンス展~突っ込みどころ満載~

6月2日、夫と新国立美術館に「セザンヌ展」へ。
 
この日は土曜日、フクアリ4時キックオフの試合があるので、10時頃には六本木に着きました。
美術展とフットボールの二本立て。充実感たっぷり・・・かと思いきや、やってみないとわからないフットボールには完全に裏切られたのですが、それはセザンヌ展の後の話。
ともかくサッカー観戦に直行するため、せっかくのギロッポンなのに、夫なんぞ黄色いユニをのぞかせたチェックのシャツとジェフのリュック、わたしもヨレヨレのクロップドパンツにTシャツの出で立ち。
オシャレとはほど遠いのです。
でも時間がないからいいの。六本木駅から脇目もふらずに美術館到着。
 
美術展の詳細は
 
作品は初期から晩年まで、アトリエを再現し、愛用品の展示もあり、とても興味深い。特に最後に使っていたパレットなどにはつい見入ってしまいました。
わたしのセザンヌのイメージは、日曜画家のお父さんの憧れ。
夫は刻苦勉励の人、というイメージだと言います。
実際に作品を見てみると、確かに刻苦勉励の人のようにも思えます。
そして、やっぱり日曜画家のお父さんが自分でも描けそうに思って「ぼかあ、セザンヌのサン・ヴィクトワールみたいな筑波山を描くのが夢なんだよ、うん」とか言いそうな気がします。
 
なにしろ突っ込みどころ満載。
 
イメージ 1
 
これはセザンヌ夫人の肖像だそうですが、どう、この四角いスカート?
膝を曲げて椅子に座っているように見える?
そして彼は生涯に亘って、手を上手に描けなかったと言う点では、堀田善衛の指摘するゴヤと一緒です。
他の肖像画も、もしそのまま現実の3次元に移したら、異常に指の長い人や、異様な曲がり方をした足など突っ込みたくなるものばかり。
それでも、この絵が美しいことに何の支障にはなりません。
すでにキュビズムのようです。
 
イメージ 2
この青い花瓶も美しい絵です。
が、画面から半分見えている瓶など、高校の美術でやったら先生に怒られると思いますよ~
それに花瓶の後ろのお皿も、ウチの娘(美術5段階で3)が描いたみたいに、花瓶で分断されてつながっていないみたいです。
静物画のテーブルもみもので、ぺっちゃんこだったりひしゃげたりしていますが、それでいいのです。
時系列に展示された作品を見ると、セザンヌは1890年の少し前あたりから(ということは晩年に近くなって)急に技術力が上がったようです。それまでに画家として評価もされでいたらしいですが、努力を続けていたのでしょう。
それでももっと上手い人ならいくらでもいる~という程度のいわゆるデッサンに終わったのは、結局彼の関心は正確な描写といったものになかったからでしょう。
 
 
イメージ 3
 
セザンヌといえば、静物画とならんでこれ。
晩年こもったといわれる南フランス、プロヴァンスのサン・ヴィクトワール山。
日曜画家のお父さんが描けそうで、ぜったいに描けない作品です。
 
こんなふうに突っ込みを入れながら、でもセザンヌにしか表現できない空間や色彩を楽しんだのでした。
 
そして急いで六本木駅近くに戻り、陽気なアメリカの若者が、いったい何人来るの?と思うくらい次々集まるカフェで昼食を。
鶏唐揚げ竹の子ときのこの甘酢ソースがけ、サラダ、もやしのナムル風のもの、ライスのワンプレートランチにコーヒーで900円。リーズナブル。夫は同じくワンプレートで豚パン粉焼き。
 
その後東京に出て、蘇我へ向かいます。
 
さらにそのおよそ7時間後、やっぱりこの2本立てはまずかったかな~と言う結果になってしまったので「今日のメインはセザンヌだった」ということで納得したのでした。