佐賀旅行だったはずなのに福岡旅行になった~福岡城、鴻臚館編

7月14日、豪雨のため博多から佐賀市内観光、吉野ヶ里遺跡のコースを諦めた翌日。
15日は「今日が昨日ならいいのに」とぼやきたくなる晴天・・・と言っても、まだ不安定なお天気で突然雨が降ったりしていましたが。
午後便で羽田、横浜へ直行という日程なので、午前中は「とりあえずお城」へ。
サポーターの旅は試合を挟んでいるため、時間に制約があり(普通に旅行が趣味の人には何のことかわからないでしょうね)、数時間で最寄り駅に戻れる範囲での観光となると、市内にあるお城あたりが最適です。
「とりあえずお城」はフットボールの旅の定番。
で、松本城、熊本城、富山城、青葉城など制覇(試合は制覇できなくても)してきたので、今回は福岡城へ。
 
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立派な追手門。
 
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石垣はなかなか立派でした。
 
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福岡城跡から臨む福岡市街
 
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お堀にさいていた蓮。
 
 
福岡城跡に隣接して、鴻臚館があります。
ここは、今回遺跡好きのワタクシが吉野ヶ里遺跡に行けなくてガッカリの気持ちを少し慰めてくれました。
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福岡博多の観光案内「よかなび」によると、
鴻臚館」とは、平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一場所が確認されているのが現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫館(つくしのむろつみ)」として初めて現れ、平安時代になって中国風の「鴻臚館」という名に変わった。7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使新羅使節団、商客らを迎え入れたとされる。昭和62年(1987)、平和台球場外野席改修の際、遺構の残存が発見され、翌年から発掘調査が始まった。展示館では遺構や大陸外交の歴史、交易品などが見られる 
 
 
 
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わーいわーい、遺跡だ~と喜ぶワタクシ。
発掘された場所全体を建物で覆って保存しています。秦の兵馬俑のう~んと小規模なかたち。
写真では奥に復元された当時の建物があります。
 
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出土品の数々が展示されています。
見事な唐三彩の枕・・・陶器の枕って、痛くない?
 
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まだこんな広範囲が発掘中です。
何が出るかな♪何が出るかな♪
 
九州福岡が大陸朝鮮半島との文化の交流地だったことが、この鴻臚館からもらわかって、興味深いものでした。
平安時代よりさらに以前、大陸からもたらされた文化文物が川伝いに上って吉野ヶ里あたりにまで及んだのでしょう。
 
と、吉野ヶ里遺跡は次の楽しみに、そのためには鳥栖の残留は堅いとして、東京が残留、ジェフは昇格しないとね~