「父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯」

お正月休みもそろそろ終わろうかという土曜日、せっかくだから映画でも見たいねぇ・・・と言ったものの、あまり見たいものもない。
スタジアム以外の人混みはイヤ、というワタクシども夫婦、こういうときはいつ行っても混んでるってことはない東京写真美術館に出かけます。
去年はたしか春に2011年の「報道写真展」を、フクアリに行く前に黄色い服装で見に行きました。
このお正月はあまりお屠蘇気分には似合わないけど、ホールで上映されている「父をめぐる旅 異才の日本画家・中村正義の生涯」というドキュメンタリー映画を。
監督は武重邦夫、近藤正典。
 
映画と中村正義について詳しくは↓
 
 
 
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この写真のとおり、なかなかカッコイイ人です。
 
 
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これが中村正義22歳の若さで日展に初入選した作品。
この画像は小さくてわかりにくいですが、人並み外れて絵の上手い人であることは、映画で紹介される初期作品から十分に伝わります。
日本画壇のドン、中村岳陵(姓が同じですが親戚ではない)の弟子だった中村正義は、36歳の若さで日展審査員に推挙されましたが、岳陵の鶴の一声で画の当落が決まるような古い体質に反発して、日展を脱退、岳陵の画塾からも去ります。
日本画壇のメインラインから外れた正義は、ドン岳陵とその一派から猛烈な迫害を受けて、満足な発表の場も与えられなかったようです。
 
反骨精神が強いという以上に、おそらく人並み外れて純粋な人だったであろう正義は、むしろ解き放たれたように奔放な作風に変わります。
 
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この三島由紀夫像は雑誌「二十世紀」の表紙になったもの。
 
同じ画家が描いた作品とは思えないほど振幅の激しい作風の変化です。
が、画家の目の純粋さは変わらないと思いますし、極彩色の激しいタッチでブキミに見える絵も、基本的な技術の確かさに支えられた見事なものです。
 
日展脱退後に描いた作品では小林正樹監督「怪談」のための屏風絵「源平海戦絵巻」が、とても残酷ですが、すばらしく美しくて、わたしは好きです。
他にも今村昌平美術監督をしたり、メインラインから追い出された代わりに、わたしなどには記憶に残る仕事をしてくれました。
 
 
この映画では「ヤクザの親分とおんなじだな」と思わせドン岳陵健在な限り、メジャーな場所では作品発表の機会がなかったそうですが、銀座三越の画廊の大英断で正義の個展が催されました。
そのとき展示された正義の作品群は、極彩色の人物画ではなく、一転して伝統的日本画の風景画でした。
その風景画の美しいこと、清澄、静謐、透明。
伝統的に見えて、彼しか描けない深い風景画。
画像が見つからなかったのが残念ですが、ここに貼り付けてもその作品の魅力は伝わらないだろうと思います。
しかし、彼はこの風景画の作風は以後、封印してしまいます。
 
この個展の後、岳陵が亡くなって、ようやく正義はじめ画壇のドンに逆らった画家への迫害は止んだとか。
それでも正義の劇烈な生き方は変わらず、たびたび病に苦しみながらも、52年の生涯を「もっと絵が描きたい」と言い残して、終えたそうです。
もともと病弱な彼の死を早めたのは、東京都立美術館の創設に当たって事務長を務めたことがあったようで、この映画の視点となっている娘さんは当時19歳、「へ~そういうのやりたいんだ」と、父親を冷ややかに見ていたと。
反骨の画家も権威がほしいのか、と若い娘さんは感じたのでしょう。
げんに純粋な彼は知らず知らずに、自分が帯びている権威を振りかざすようなこともあったようです。彼の情熱がさせたのでしょうが、ちょっと皮肉な、そして人間としてありがちなことだと思います。
 
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死の恐怖なのか・・・最晩年の作品。
 
画家の技術の確かさと、美しさと、ほとばしる情熱と、反骨精神と、病と、恐怖と、研ぎ澄まされた感覚を表現できる、人並み外れた才能を備えて、残念ながら人より短い生涯を終えた中村正義を、その娘倫子さんの視点で描いた、見応えのあるドキュメンタリー映画でした。
 
川崎に正義の自宅を使った「中村正義の美術館」があるそうです。
3月まで休みらしいですが、開館したら見に行こうかと思います。