大島渚監督、逝去

長く病んでいたらしい大島渚がとうとう亡くなりました。

彼のヌーベルバーグ時代の作品はリアルタイムで見たことはありません。
1960年作品の「青春残酷物語」を、その10年以上後に見たような記憶がありますが、若い娘(当時のわたし)にはとても怖くて気持ち悪い映画だったという印象が残っています。
そのまた10年くらい後に、香港でツイ・ハークの初期作品(タイトル忘れた)を見た時、奥底から湧く怒りと残酷さと暗さを感じて、「青春残酷物語」を思い出しました。

松竹出奔後の作品も、当時のワタクシのような腐女子の興味を引くことは少なく、縁の薄い監督でした。
たまにニュースになると、何かの壇上で野坂昭如に殴りかかっていたりして、あくまでも若い女子の好みからは外れる人でした。

リアルタイムで見たのは「愛のコリーダ」とか「愛の亡霊」だったか、総武線沿線の夜の某映画館で、上映が終わったら、わたしたち夫婦の他に2人しかお客がいなかったのを、覚えています。

戦場のメリークリスマス」のあたりからか、TVのバラエティ番組などに出て「辛口なコメントをする面白い?オジサン」みたいなキャラクターになっていました。
しかし、彼は生涯を通して、日本社会に、マジョリティーに、常識や良識の皮を被った非道に、挑み続けた人だったと思います。同時に相当なケレン味も野心もあったようです。

わたしはここでは政治的社会的問題は扱わないことにしているので、書きにくいことですが
彼の真骨頂は日本における差別への問題意識だったでしょう。
最近TVで大島渚作品をいくつか見ました。
特に印象強かったのは「絞死刑」です。
彼は誰もが蓋をして存在しないことにしている問題を、アグレッシブに露わにしてきた稀有の人でした。
そして「絞死刑」では、改めて見ると、呆れるくらい渇いたブラックユーモアに満ちていて、これではどちらも(差別する側も、される側も)怒りそうです。封切り当時の世評は知らないのですが。

後年、変な映画が増えたかなと思っていたのですが、ヘンといえば、ほとんど全てヘンだと言えそうです。
しかし、わたしは封切りから40年も過ぎてから初めて見た「絞死刑」が、好きです。

「御法度」を見てからしばらく、うちでは「その気(け)」という言葉が流行っていました。
その「御法度」を最後に彼は映画から遠ざかり、今日彼岸の人になってしまいました。
ご冥福をお祈りします。