Jリーグ20年の思い出~長いよッ!

5月15日、Jリーグ開幕20周年のメモリアルデーでした。
みなさん、20周年にそれぞれ思いを綴っていらっしゃるので、わたしも思い出して・・・
 
ずっと以前にも書いたことがあるのですが。
 
1993年の5月15日、開幕戦マリノス対緑は、テレビで夫と見ました。
三田くんは当時3歳だったのね・・・若い。
熊本に行ってる橋本拳人くんなんか、ママのお腹の中にいたのね・・・若い。
野澤くんなんか、まだ影も形もなかったのね・・・若い。
で、ワタクシどもなんか、その当時もすっかりオジサンオバサンで、サッカーならば「三菱ダイヤモンドサッカー」から見てるもんね。
夫は好きで見ていたのですが、わたしは父親が見ていたのをチラッと見ていたくらい。ただ、御多分にもれず、ジョージ・ベストのかっこよさには心奪われました。
その彼ももう8年前に亡くなりました・・・
 
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あれ?
こんなところから書いてたら、1993年にはなかなか行き着かないわ~
 
まいいや、どうせいつもダラダラ長いんだから、トシヨリの話は。
 
で、夫は自分もへっぽこサッカーをやってたこともあり、日本リーグからサッカー観戦をしていたそうな。
そういや、12日の日曜日に、フクアリの美味しいカレー屋さん「サマナラ」に並んでいたら、前に清雲栄純さんが並んでましたよ。夫が言うには「彼みたいないいDFがいるのが、古河の伝統なんだ」と。
そう、ジェフになる前からずっと古河ファンの夫。
だから、古河がジェフユナイテッドになり、スタジアムがそれまで縁のなかった市原臨海になったときは、かなりブツブツ言っていました。
市原臨海ではうちから行けるとしてもナイトゲームは無理。おまけに当時はゴールデンゴールからPK戦まであって、90分で終わるとは限らなかったし。
そもそも市原ってどこ?
 
それでも、長いこと海外のプロサッカーを見て来て、さらに韓国では先にプロサッカーリーグができて、常に日本の上にいるのを見て来て、待望だったプロサッカーリーグの開幕、やはりワクワクしたのを憶えています。
 
わたしもどうせなら地元チームでなくちゃ・・・と思いましたが、東京にはJリーグチームがない。
市原に行く気はないけど、夫と同じジェフを応援するかな~と思っていたら、なんと!
当時Jリーグバブルに乗って、我が娘がカズファンになり、緑を応援すると言い出す!
こりゃ勘当ものです。
が、一人娘かわいさ。
どうしたって嫌いな読売を応援する気はしないけど、3人家族で2対1はマズイ。
で、わたしは川淵さんの言うJリーグの理念に近いクラブ、清水エスパルスを応援することにしました。これもむろん、日本平がどこかも知らず、行くつもりもなかったのですが。
3人家族バラバラのチームを応援することになって、我が家のJリーグ元年は始まったのでした。
 
しかし若い娘っこのお馬鹿さんは、じきにサッカーにはあきて、キンキキッズに行ってしまう・・・
3人家族のバランスのためにわざわざ清水を応援することにしたのに~
結局清水は国立での2試合ほどを見に行って、「日本のブラジル」清水のオバサポのすごさに圧倒されて(『マッサーロ引っ込めよ!タツル出せってんだろッ!!!』と怒鳴っておられた清水美人が、いまだに忘れられません)、ビックリ仰天、そこまで野次ったりはしないけど、その後同じようなサポに自分がなるとは~
しかしスポーツってそうなのでしょうが、応援するとまた愛着が湧くものですね。
次郎長しかしらなかった(古!)清水ですが、あのパスをこまごま繋ぐサッカーが気に入り、ナビスコカップの優勝もそれは嬉しかったものです。
一方で、やっぱり地元のチームを応援したい気持ちは変わらず、東京ガスJリーグ入りを待っていました。東京ガスがJに昇格したら、清水ファンはやめてそっちを応援すると決めて・・・
 
その東京ガスが衆目を集めたのは、97年の天皇杯準決勝進出でしょう。
ガスの快進撃を横目で見ながら、まだ清水ファンを続けていましたが、Jリーグ昇格も近そうだと感じていました。
 
それから身内の病気やらいろいろありまして、J1リーグに昇格した東京をスタジアムで応援したのは、ずっと後のことです。
いつだったかな~はっきり記憶しているのは、2003年9月13日味スタでのジェフ戦に夫婦で行ったこと。
その前年の国立でのジェフ戦も行ったかどうだったか・・・とにかくずっと引き分け。東京とジェフはたまに3点差がつくことがあるけど、「打ち合い」になって引き分けることが多かったのです。
03年の試合は、宮沢と戸田の前半2得点でリードするも、後半林丈ちゃん(あらもういたの!)とサンドロのゴールで追いつかれた・・・
その頃も夫は海外赴任中、たぶん帰国した時に見に行ったのでしょう。わたしもまだ一人で行くのはなんかイヤで。
 
しかしいつの間にか一人でもお構いなしに、しげしげと応援に行くようになっていました。
 
そうこうするうちに、Jリーグ20歳。
 
お互いに、おめでとう。あなたも、わたしも、おめでとう~
 
日本リーグ時代に西が丘でも観客が300人もいればいい方で、夫などはベンチに寝そべりながら観戦した、そういう時代を支えていた選手やリーグ関係者にも感謝します。
 
2011年3月11日の東日本大震災により、サッカーをできること、見られることがどんなに恵まれているかを思い知らされました。
選手もその思いを忘れないで、プロとしての自覚をもってプレーしてほしいです。
応援する側も、このJリーグを建て上げた、それまでの冬の時代を支えてきた方々がいることを忘れないで、大事に自分たちのクラブとJリーグを育てていきたいと思います。