山形旅行3.上山温泉郷

グズグズしていると、次の「フットボールの旅」が巡ってきそうです。
次は広島→福岡の旅ですが、その前に山形旅行最終回。
 
7月15日。
午後帰京するので、半日の観光です。
前日天童まで乗った奥羽本線にまた乗って、上山エリアを訪ねました。
ここがなかなかステキな場所だったのですが、時間がなくてあまり足をのばせなかったのが残念。
まずは、サポ旅行の定番、お城。
上山城です。
 
 
下の説明文はHPよりお借りしました。
 
上山城は、最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となりました。最上家改易の後は歴代藩主の居城となりましたが、城下町まで含めた諸施設が整ったのは土岐氏の治政下で、月岡・天神森にそびえる壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れわたりました。しかし、元禄五年(1692土岐氏の転封と共に、幕府により取り壊され、現在は堀跡や石垣が当時の名残をとどめています。
 現在の上山城は、映像など多彩な展示方法を取り入れた郷土歴史資料館です。
 
 
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夏空に映える上山城。
 
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内部には「縄文時代の上山~発掘された遺跡とくらし」という特別展示や、上山の歴史、山形の動植物などの展示がありました。
 
 
お城の裏手にある武家屋敷を訪ねます。
藩政時代の武家屋敷が4軒連なって現存しています。
藩の要職にあった武士の家で、その子孫の方々が、現在もこの屋敷に住んでおられるというのが、驚きです。
 
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居住者がおられる人家ですので、公開されている屋敷以外は外から見るだけにします。
(どうも不心得者がずかずか入って来て、迷惑を被っていらっしゃるらしい)
 
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趣のある武家屋敷群でした。
萱葺き屋根などの保存は大変でしょう。
昔のお武家さんは、ここからお城に通っていたのですね。
通勤が近くていいけど、帰りにどっか・・・と思っても寄り道はできないなぁ。
 
上山温泉郷を歩いて沢庵和尚のいおり「春雨庵」へ。
 
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温泉郷の宿。
 
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沢庵和尚が3年間過ごしたという「春雨庵」の鄙びた門。
 
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沢庵漬け名称発祥の地、石碑。
饅頭、うどんに続き、タクワン発祥の地制覇!(笑)
 
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障子の破れ目から中を覗いたら、ヒゲも髪も真っ黒で色白の生々しい沢庵和尚の人形が安置されてて、ビックリ。ちょっとキモ・・・
 
 
また温泉郷をテクテク歩いて、栗川稲荷神社へ。
縁結び、商売繁盛、金運に御利益があるそうな。
 
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京都の伏見稲荷ほどではないけど、派手~
 
 
上山温泉郷はあちこちに足湯があって、足湯巡りも楽しいらしいのですが、ウチはスタスタ歩くばかりで足湯に浸かる余裕なし。
帰り際に駅に一番近い「ポケットパーク」という足湯に浸かりました。
始めは熱くてなかなか足を入れられないけど、慣れてくるととても気持ちいい。
足の疲れが取れます。
 
かみのやま温泉駅に戻って電車に乗り、隣の斎藤茂吉記念館前駅へ。
写真をPCに取り込んだはずなのに見つからない・・・
 
上山出身の歌人斎藤茂吉の記念館。駅名になっているとは、すごい。
ステキな建物だったのですが・・・写真はHPをご覧下さい↓
 
谷口吉郎建築による瀟洒な感じの建物です。
前庭も緑の木々と記念館の建物がよく似合って、きれいです。
 
展示では北杜夫の「楡家の人々」の一節が朗読されていたり、書斎が再現されていたり、それほど茂吉ファンでないわたしも楽しく見ました。
 
高校の教科書に
「のどあかき つばくらめ ふたつ 梁にいて たらちねの母は死にたもふなり」とか
「たらちねの母が 釣りたる 青蚊帳を すがしと いねつ たるみたれども」とか
が出ていて、覚えやすい歌なので今でも記憶しています。
高校生の時、茂吉ってマザコンだな~と思ったことも。
 
改めてHPにある歌を見ると、やっぱりわかりやすく、まっすぐな印象を受けます。
 
 
蛍火 (ほたるび ) をひとつ見いでて 目守 (まも ) りしがいざ帰りなむ老の 臥処(ふしど)に
 
 
HPに引用不可とありましたが、一首だけ借りました。
 
 
記念館の周囲の公園もとてもきれいで、桜の季節は格別でしょう。
 
電車に乗って山形駅に帰り、遅い昼食をとってからお土産を買って、新幹線で東京へ。
珍しく勝ち点3×2、楽しい旅でした。負けても旅は楽しいけど、勝てば格別。