コルンゴルド「死の都」

マリサポの弟は、うちの兄弟で唯一音感に恵まれて、学生の頃はグリークラブに入っていました。
それなのにあんなつまらんチャントばかりのチームを・・・じゃなかった、そういう訳でよくコンサートに行きます。
 
今回も誘ってくれたので、行ってきました。
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルド作オペラ「死の都」
まずは、このHPを↓
テノール、トルステン・ケールの歌う美しいアリアが聞こえてきます。
 
 
実は作曲家コルンゴルドについても、「死の都」についてもわたしは、今回が初耳、初見。
 
コルンゴルド、HPによると・・・
 
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1897年、オーストリア=ハンガリー帝国領のブリュン(現チェコのブルノ)に生まれ、後にウィーンに移り住む。幼少期より神童ぶりを発揮し人気作曲家として活躍、1920年に初演された「死の都」でヨーロッパにおけるコルンゴルトの名声は決定的となる。1930年代よりハリウッドで映画音楽に携わり、アカデミー賞を2度受賞。1938年ナチスの迫害を逃れアメリカに亡命。第二次世界大戦後ウィーンに戻るが、クラシック音楽の分野で再び成功することはなくアメリカに帰国。1957年、失意のままハリウッドで60年の生涯を閉じる。1970年代よりコルンゴルトの再評価が進んでいる。
 
「死の都」は彼が23歳の時の作品だそう。
神童とも呼ばれたひとらしい。
HPの作品の紹介はこう。
 
ベルギーの古都ブルージュを舞台に、愛妻を亡くした主人公パウルが妻と瓜二つの女性と出会い、倒錯のひと時を過ごす物語を幻想的に描いた「死の都」。かねてから上演を望む声が多かった傑作オペラがついに新国立劇場に登場します。コルンゴルトは20世紀初頭、ウィーンの神童として人気を博した作曲家で、1920年23歳の時に発表した「死の都」は大成功を収め、ヨーロッパ中のオペラハウスでレパートリーとなります。しかしながら、ユダヤ系であったコルンゴルトナチスの迫害を逃れその後アメリカに亡命、映画音楽の分野で名声を築き、クラシック音楽からしばらく忘れられた存在となります。現在ではコルンゴルトの再評価が進み、特に代表作である「死の都」は、世界中でこぞって上演されるようになりました。コルンゴルトの音楽は、R.シュトラウスマーラーを思わせる後期ロマン派の作風で、甘美な旋律と豊潤な管弦楽が魅力。オペラファン必見の公演です。
 
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写真はパウルの亡妻マリーにうり二つのダンサー「マリエッタ」。
アメリカ出身の若手ソプラノ、ミーガン・ミラーです。
 
3幕、パウルとマリエッタ役はほとんど出ずっぱり。
紹介にもあるように、R・シュトラウスを思わせる美しい歌曲です。
 
お話はローデンバックの「死都ブルージュ」を原作として、コルンゴルドとその父親が台本にしたものだそう。
抽象的、精神的、信仰的な作品です。
簡単にいえば、妻マリーが死であり聖であり精神であり、ダンサーのマリエッタが生、俗、肉体を象徴している。友人が当たり前の日常に生きる人物、という感じ。
 
マリエッタ役のミラーは、でっかくてグラマラスで、奔放な踊り子、真っ赤な衣装がよく合っています。
死んだ妻と瓜二つって・・・こんな生命力に溢れる人が?
と、思う所を非常にうまく、華奢で清楚な美女を妻の亡霊?として舞台に置いています。
妻の方は、無言の役で歌はなし。
ストーリーの上では瓜二つだけど、舞台の上にいる二人は全然似てなくて、それぞれが聖と俗、彼岸と此岸などを象徴するにふさわしい容姿をしています。
 
舞台美術も面白くて、古都ブルージュの雰囲気が・・・って、行ったこと無いけど。
 
第3幕のブルージュの伝統行事「聖血行列」の場面も面白く、最後まで飽きずに見ました。
 
コルンゴルドナチスの手を逃れてアメリカに渡ってから、ハリウッド映画の音楽を何編も作ったそうです。「真夏の夜の夢」「放浪の王子」「シー・ホーク」「愛憎の曲」、そして「風雲児アドヴァース」と「ロビンフッド」はアカデミー作曲賞を受賞。
どれも、わたしは見たことがない・・・
 
戦後ウィーンに帰れたのに、不遇の内に亡くなったとは、当時のクラシック界が彼を受け入れなかったということもあるようです。
 
近年再評価されたということで、わたしも聞くことができました。
こんなに美しくて怖いオペラが埋もれたままにならなくて、本当に良かったと思います。
 
弟には、良いオペラを紹介してくれたお礼と、「4月のマリ戦には勝つよ」という強がりを言って、帰路につきました。弟が鼻で笑ったのは言う間でもありません・・・