ヴァロットンー冷たい炎の画家ー三菱一号館美術館

丸の内の三菱一号館美術館に、「ヴァロットン展」を見に行きました
 
この三菱一号館美術館、明治時代の建物を再建したものだそう。
 
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内部も明治の雰囲気があっていいのですが、撮影はできないので表だけ。
 
 
さて、ヴァロテッリ・・・じゃなくてヴァロットン。←一応言いたい。
 
フェリックス・ヴァロットンというスイス生まれ、フランスの画家、1865年生まれ、1925年60歳で亡くなる。
ごく最近まで評価されず、忘れられた画家だったそうです。
 
近年急に評価を高めたのは、その絵から漂うなんとも言い難い不安感、不吉な予感、居心地の悪さが今の時代にやっとマッチしたのかもしれません。
ただ、版画家としてはすでに名高く、わたしはこの展覧会で、子どもの頃彼の挿画による「にんじん」を読んだことを、思い出しました。
 
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わかりにくいけど、これがヴァロットンによる挿絵。
小学校高学年だったと思うけど、父が買ってくれた本でした。いつも明るいノーテンキな話が好きな父が、何を思ったかこんな暗いやりきれない、今なら児童虐待と言ってもいいような話を、なぜ読ませたのかわからない・・・
わたしはすっかり気分が塞がって、それ以来この「にんじん」を読んでいないので、細かい所は忘れました。
そのイヤな気分にさせる話に花を添える・・・というよりは、イヤさを募らす効果のある挿絵が、ヴァロットンによるものだったとは、今回展覧会によって知りました。
彼の版画、絵画に出る子どもは、みんな、可愛くない。
無表情。
すべて人物は無表情なのが多いのですが、子どもはまるでのっぺらぼうのよう。
ヴァロットン、女性が苦手なのはむろんのこと、子どももすごく苦手だったと思われます。
苦手、って絵に描くことが、ではなくて、精神的にどう接していいかわからない、ある種ブキミな生きものとして、女性、子どもを捉えていたようです。
 
彼がすばらしく絵の上手い人であるのは間違いありません。
 
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これが二十歳の時の自画像。
うまい。
 
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このポスターになっている「ボール」という絵。
後ろ姿のボールを追いかけているような少女。
これもよ~く見ると、なんかヘンな姿勢。
この作品からインスパイアされた短編を小説家角田光代が「記憶」というタイトルで書いています↓
 
 
(ヴァロットン展HP)
 
 
絵画から受ける印象は個人個人で違うので、こういうものを先に読んでイメージを限定されるのは如何かと思いますが、たまたまNHKの「日曜美術館」で放送されたのを聞いてしまいました。
・・・・この作品に限らず、なにか不安なものが漂う、時には悪意も感じる作品が見られます。
 
しかし絵の上手い人だけに、実に振幅のあるテーマで描いていて、作品展の最後の方には、蘇我夫が「フレディー・マーキュリー」と名付けた、思い切りヘンでマッチョなペルセウスと、どこかで長年水商売をやってきたような中年オバのアンドロメダの絵とかもあり・・・なんでこんなヘンなの描いたのかねェ。神話は絵画のテーマとしては王道ですが、何かおちょくっているのか?
 
と、思えばなんともすごいエロチシズムに満ちた作品もあり。
「猫と裸婦」などはものすごく危ない作品です。
版画なので、モノトーンの柔らかい線で表された裸婦と、猫がまたすばらしい・・・でも危ない。
しかし、ヴァロットンの女性に対する視線は、冷たいというか、皮肉というか、それでも娼婦との関係はかなりお好きみたいで、そっちの魅力には抗えず、しかしコミュニケーションは取れず、というゆがんだ女性観だったようです。
 
そしてその女性観から「夕食、ランプの光」という悲痛な孤独感の漂う、しかし見方によっては自分勝手な孤立とも見える、家庭での不幸を描くことになります。
そのほか「ポーカー」でも「貞淑なシュザンヌ」でも、「戸棚を探る青い服の女性」でも、何か物語を連想しそうな作品が満載。
版画もすばらしく、一連の「これが戦争だ!」も一見の価値があります。版画は三菱で持っているものが多いようです。
静物画、風景画も個性的で面白い。
 
興味尽きない作品展でした。
 
帰りに新丸ビル「ポアンエリーニュ」でおいしいパンを買って帰りました~