博多、鳥栖、熊本旅行~その1.残念な鳥栖散歩

8月16日から18日、博多に泊まって鳥栖へ、熊本に移動したフットボールの旅です。
 
まず早朝4時起きで、立川まで歩き、羽田行き高速バスに乗車。
10時半に博多着。
ホテルに荷物を置いて、博多近辺は結構歩いたので、ポートタワーの方にバスで行きました。
 
イメージ 1
ん~かわいらしい。
土曜日でしたが、天気もいまいちだったせいか、空いていました。
このポートタワーのエライところは、展望台入場料、無料!!
(展望台からの景色は網ガラス越しになるので、写真は難しい)
わたしは建築物には無知なのですが、このポートタワー「タワー六兄弟の末っ子」なんだそう。
塔博士内藤多仲という人の設計によるタワーの一つです。
ちなみに、長男は東京タワー。
通天閣も兄弟だって・・・そういえば、似てる・・・
 
このポートタワーの前のベイサイドプレイスで、「海鮮丼」の昼食。
1200円で具がいっぱい、お総菜食べ放題、リーズナブル。
 
 
ここから博多駅に戻って、鳥栖を目指します。
去年も乗ったJR九州のユニークな電車、かもめ号で30分弱。
新幹線の泊まる新鳥栖下車。
 
ここから鳥栖市鳥栖観光コンベンション協会が出している「鳥栖とりっぷ」で紹介されている街散歩、「長崎街道(轟木宿)コース」を歩くことにします。
近年いろいろな市町村の観光協会などが街散歩のコースを作っていて、だいだい2~4時間くらいで歩けて気軽な観光になります↓
 
 
ただ、この地図もそうだけど、簡略すぎて土地勘のない者にはわかりにくい。
 
新鳥栖駅にあった観光案内の女性に道を聞いたけど、彼女もよく知らないような・・・なんかヤナ予感。
 
しばらく迷って、ようやく長崎街道を見つける。
 
イメージ 2
・・・・・・・・普通の道ですな。
左にある立て札に「長崎街道」とあります。
右の建物は普通の人家です。
 
司馬遼太郎の「街道を行く」ならもっとなんか情緒のあることが書いてあるでしょうが、サポの旅のワタクシどもには「なんだ、普通の道じゃん」としか・・・
 
この長崎街道、北九州小倉から長崎市に至る道だそうです。
江戸時代においては、鎖国時代に唯一外国と交易していた長崎へ通じる道として、大変重要だったと。
別名「シュガーロード」と言って、江戸時代に発展していた長崎に砂糖が大量に運ばれ、この街道付近に菓子製造業や甘い郷土料理が多いのだとか。
長崎に行ったとき、お料理の味付けが甘く、また甘いことを「長崎が近い」と言うことー知りました。
 
 
さて、ここから鳥栖駅に向かって長崎街道をさるく。
 
しかし、ここからず~っと工場と倉庫ばかり。
街道はうねうねと工場の裏、倉庫の前を走っています。
江戸時代の名残は・・・なんにもない。
 
工場、倉庫を抜けると・・・
 
イメージ 3
住宅地~
でもこの道が長崎街道なの。地図もって街道を行く蘇我夫。
晴れてきて、暑い!
 
イメージ 4
道にこんな表示が。
 
イメージ 5
かなり歩いて、轟木宿跡に着いた。
 
佐賀藩主が参勤交代のとき宿泊した宿場だったそうです。
中心に日子神社、鍋島藩対馬藩の藩境だった。
シーボルトが神社の前で天測を行ったって、地図にあります。
 
イメージ 6
 
 
 
イメージ 7
鳥居の向こうが長崎街道
 
さらに暑い暑い、と言いながら歩く。
 
姿見の池につく。
 
イメージ 8
道真伝説の一つです。
 
 
イメージ 9
この水たまりが「姿見の池」か・・・まあ1000年以上前の話ですものね。
 
イメージ 10
上の平べったい石が「腰掛けの石」のようです。
暑くて疲れて、登って確かめる気にならず・・・
 
 
 
イメージ 12
青赤の靴下はいたワタクシの足が写ってる・・・
 
さらに歩く。
 
と、秋葉町に着きました。
商家の町並みが現存する・・・
 
イメージ 11
確かに。趣きある一角。
写真だと、こういう町並みが続いているように見えるかもしれませんが、この4件だけです。 

 
あとは鳥栖の駅前商店街でアイスキャンデーを食べる!ことだけが楽しみだったのに、なんか道を外れて、鳥栖駅に着いてしまいました。
 
長崎街道歩き、おしまい。
 
 
鳥栖観光コンベンション協会の方には、一生懸命考えた鳥栖観光でしょうから、こう言うのは申し訳ないのですが、ワタクシ共のようなヤカラには、あまり興味引かれる町歩きではありませんでした・・・
正直今までで一番残念な街散歩
きっと「鳥栖とりっぷ」に紹介されている他の3コースは、ずっと面白いのでしょう(^^;)
 
鳥栖市にはすぐ近くに吉野ヶ里遺跡があり、観光としてはちょっと不利かもしれません。
 
鳥栖ベアスタの周りを回って待機列に並んだりして、この日の歩数は3万歩越え。
足が疲れた・・・
 
 
おまけ。
イメージ 13
鳥栖から博多への帰路、通った駅。
「原田」と書いて「はるだ」と読むのですね。九州では「原」を「はる」と読むことが多いようです。