映画「悪童日記」

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アゴタ・クリストフのデビュー作「悪童日記」を読んだ時の衝撃は、それはもう言葉にできないほどの激しさでした。
2011年、この映画が制作されている頃に、アゴタ・クリストフは移住先のスイスで75歳で亡くなりました。
ハンガリー人の彼女が、何人もの映画化の企画を拒否した後、それを許可したのが、同じハンガリー人ヤーノシュ・サースでした。
 
原作はアゴタ・クリストフが1956年ハンガリー動乱を避けて移住したスイスで使われているフランス語で書かれていますが、映画はその物語の舞台ハンガリー(という固有名詞は出て来ないけど)の言語で語られます。
この映画で、欠かせない条件は、まず双子の美少年を見つけること。
ヤーノシュ・サースはハンガリー中の小学校を探し回って、この希有な双子を捜し当てたそうです。
この子たちがいてこそ、この映画が作れる、というもの。
 
 
第二次対戦からソ連軍に制圧されるまで、その間「大きな町」から危険を避けて「小さな町」にいる母方の祖母に預けられ(と言っても世話なんかしてくれない)、母を失い、父を失い、最後に一心同体だった双子がそれぞれに自立の道を歩むまでが描かれます。
美しい双子が過酷な日々を送りますが、彼らはそれに立ち向かい、強くなっていき、大人たちを「文字通り」踏み越えて行きます。
時にこちらがひるむような残酷さも見せるし、時にその美貌で命拾いする。
 
「戦争は終わった、だけどぼくらに平和はこない」というハンガリーという国の苦難が、双子の少年を通して描かれています。
 
ほとんど原作のまま映画化されていますが、わたしが原作を読んだイメージより、彼らの祖母に少し温かみが感じられます。
母親が彼らを迎えにくる場面は、原作でも衝撃的ですが、映像になるといっそうむごさが感じられます。
ある意味で、少年たちはここで母親を捨て、最後に父親も捨てて、一人で生きて行きます。

戦乱の中で、大人も弱い存在でしかないということでしょう。
オトナたちのダメさ加減もすごい。
 
原作がそうであるように、映画でも余計な説明はなく、双子の行く道によって、ハンガリーという国から引き裂かれたアゴタ・クリストフの思いが伝わってきます。
 
 
原作を読んでいない人には、おそらくこの映画はかなり衝撃的でしょう。
わたしは原作を何年か前に読んだのですが、その時の衝撃がよみがえってきました。
少年たちのすさまじい生き方を見るだけでもいいのですが、戦争とはどういうものか、よその国が自分の国で戦争するとはどういうものか、考える機会にもなると思います。