博多、太宰府、牛と巨木。
まずは、鳥栖で東京の応援をしてから、博多に戻りました
翌日、大分へ移動する前、時間があったので、太宰府天満宮へ。
今まで博多には何度か来ていますが、太宰府へは初めて。
学問の神様にどーにかしてもらうにはとっくに手遅れなのですが、近くまで来たのでごあいさつを。
太宰府天満宮参道。
おや、東京サポのご夫婦がいらっしゃる。ご主人、昨日から着替えてないのかな~
梅ヶ枝餅のお店の軒先にツバメの巣が。
お社の写真、人が入らないように撮ろうとすると、こんな。
屋根だけになる~
(上3枚蘇我夫撮影)
実は、ビックリするほどすごい人出だったのです。
それも、半分以上は中国からお越しの皆さん。
学問好きの民族ですから、天神様も結構人気あるようです。
牛が天神様の使わしめだそうで、境内には牛(の像)が何頭も。
悪いところをナデナデするとよくなるとか。
善男善女がみんな撫でるから、牛さん、つやつやしています。
わたしは、この子が一番好き。
この景色の中に、上のちっこい牛さんがいます。
さて、どこでしょう~
野見宿禰の碑もありました。
お相撲さんの元祖です。
さすが日本で一番早く文化が栄えた土地という感じがする。
ひょうたんも願掛けに奉納するらしい・・・
なんかカワイイ。
太宰府天満宮で、わたしが一番すごいと思ったのは、実は、人出が多かったことと、巨木が何本もあって歴史を感じたこと。
以下、蘇我夫撮影。
迫力ある大きな枝の張り方。
こちらが有名な飛び梅です。
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな
菅原道真の歌に由来する梅でございます。
菅公のおかげで、今は梅ヶ枝餅でお商売なさるお家がたくさん。
道真の怨霊を恐れたヒトビトが神として祭り上げたのが、天満宮になりました。
しかし、おそろしい雷をともなった怨霊とは、学問に秀で、短かったけど荘園問題にも取り組もうとした有能高級官僚とは、結びつきにくい。
都恋し、とメソメソして暮らしてただけで、怨霊になるほどのパッションがあれば、もうちょっと朝廷でも戦えたかもしれないし・・・
菅公もそんな怖い怨霊に仕立てられて、嬉しくないのでは?
でも、今の学問の神様としてなら、ご本人もお喜びでしょう。
などとちょっと平安の歴史に思いをはせ・・・
天満宮を出ると、お昼を迎えた参道は、さらにすごい人通り。
お顔が写っちゃってごめんなさい~
たぶん、ほとんど中国の方だと思います。
太宰府はそもそも大陸文化が最初に到着する場所、まあ現代がこんなふうになってても不思議じゃないかも。