山口旅行~その2.萩散歩


試合の前々日入りというゴージャスな日程(^^;)で、山口旅行。
二日目は、初山口なので、長州の偉人に敬意を表して、城下町萩へ。

地理が苦手で、今回の旅行まで萩と山口、新山口がそんなに離れているとは知らず。
萩は日本海側の海沿いの町なんですね~
で、湯田温泉からその名も防長バス新山口へ、新山口から「スーパー萩号」というバスで萩へ、ざっと1時間半かかりました。そんなに遠いとは知らなかった~(無知)。
道中山の中を抜けて、萩に出ます。

そして、吉田マキトじゃなかった(ゴメンナサイゴメンナサイ、吉田と入力するとマキトと出ちゃう)松陰先生はじめ、高杉晋作伊藤博文桂小五郎など幕末に活躍した偉人を輩出した萩城下町を歩きます。

萩観光の地図を見ると、吉田松陰の住まいや松下村塾はお城からはずっと遠くに位置してる。
吉田家の人が登城するのは大変だっただろうな~
うちは午前中城下町、午後、市内を回る「まゎ~るバス」に乗って松陰先生の足跡を訪ねることにしました。


バスターミナル近くの公園に立つ久坂玄瑞
去年の大河ドラマヒロインのダンナさんだけど、わたしは中学の時読んだ司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に書かれた久坂玄瑞が印象強く残っています。
中学以来読み返してないから、その当時の印象だと直情径行の人。


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(蘇我夫撮影)

城下町歩きといってもかなり広いので、一部だけ。
まず「コーヒーぜんざい」が美味しいカフェ異人館の横を通って、古い家並みの残る道に入ります。

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こういうふうに藩士の家が残っているのですが、いろいろ見たせいで、はじめのうちに見た家が誰のだったか忘れてしまった・・・


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蘇我夫撮影)



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蘇我夫カメラ)

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何軒か保存されたり現在も居住されている江戸期からの住居を表からだけ見て(←いいかげん)、菊屋家住宅へ。
こちらは商家で、造り酒屋だったようで、ボランティアの方の説明によると「迎賓館」に使われていたと。
本陣だったということでしょう。

詳しくは


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住居は国の重文に指定されています。


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立派なお庭。






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トイレ大小(^^;;)
広くて落ち着けそう~



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伊藤博文初洋行時のアメリカ土産の柱時計。
なんと今も動いてます~つまり、11時32分に菊屋家にお邪魔してたわけ。


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梁の写真は必ず撮ることに。


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蘇我夫カメラ)
夏みかんと白壁が萩らしい景色だそうです。


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萩城北の総門を眺めて、時間がないのでお城には行かず、食事。


バスで吉田先生のお宅へ向かう。
女台場というところからバスに乗るのですが、出てみると、なんと海~~~


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前日とは打って変わって良い天気だったので、海もきれいです。


お城からはずいぶん離れ、松本川を渡り東萩の方へ。


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蘇我夫カメラ)


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吉田松陰幽閉の旧宅とか、吉田家の住居などが保存されています。
どれがどれだか忘れた~

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蘇我夫カメラ)


こう言っては失礼なのですが、見たところ古い家にすぎない(蘇我夫なんかもっとひどく○゛ロ家と言った)のですが、他ならぬ吉田松陰ゆかりの家なので、忘れられることなく保存されたのでしょう。
これが残っていいることで、吉田松陰松下村塾から輩出された人たちに対する、人々の尊敬の念がわかりました。

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伊藤博文旧宅。


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吉田松陰の叔父、玉木文之進の旧宅。
蘇我夫カメラ)


最後に東光寺へ。
黄檗宗の寺院で、毛利家藩主と夫人の墓所
総門、山門、鐘楼、大雄宝殿は国の重文に指定されているそうですが、関所(拝観料)があったので、門の外から眺めるだけに(←ケチ。時間がなかったんだけど汗)。

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山口は至る所山藤の花が盛りで、とてもきれいでした。


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バス停からお堂の屋根だけ見る・・・
新緑に黒い瓦屋根が美しい。


まゎーるバスでバスターミナルに戻り、新山口駅行きのバスを待ちます。

萩一日散歩おしまい。

「花燃ゆ」見とけばよかったかなぁ・・・中学の頃幕末史が好きで覚えたことはほとんど忘れてたことが判明し、ちょっとヘコむ。
幕末に生きた人たちが今も大切に誇りに思われていることがよくわかりました。
高杉晋作とか坂本龍馬とかがっもっと長生きしてくれたら・・・と思うけど、歴史にも試合にもタラレバはなし、ですね。