新潟市内駆け足観光~新津記念館

萬代箸の効き目か、アルビレックス戦に勝った翌日、日曜日。
夜は横浜三ツ沢でジェフの試合があるため、午前中だけまた一カ所観光しました。

新津記念館、口の悪いふうちゃんP4夫婦、石油○金の家、と呼んでいましたが、HPによるとこんな概要です。


『新津記念館は、昭和の石油王・新津恒吉が、 1938年(昭和13年)に私邸内に建てた外国人向け迎賓館です。
重厚かつ気品ある内部装飾を随所に施し、 フロアごとにイギリス、フランス、ドイツ様式にまとめあげられた欧風バロック調の洋館は、 まるで重箱を重ねたと表現されるほど壮麗で、 日本間との見事な調和と共に落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
1998年(平成10年)には県内初の有形文化財建造物の登録も受け、 丸新グループのシンボリック的な存在として、 戦後の新潟市の発展を旭町の高台から見守りながら、半世紀が経った今でも、 ありし日の恒吉翁の昔日の想いと昭和の叙事詩を蘇らせてくれます。

≪建築概要(西洋館部分)≫

原設計
 竣工:昭和13年(1938)4月
 設計:大友 弘
 施工:合資会社 清水組』





入館料が800円と、こういう歴史的建造物にしては相当に高く、一瞬やめようか、と思ったくらいでした。
案内の女性は前日訪ねた小澤さんちと同じ制服を着ていらしたので、市か市の委託を受けたNPOかどこかがやっているのでしょうが、この新津記念館は、石油王新津恒吉翁の事業の流れをくむ丸新グループの公益法人となっています。それで入館料が高いのかわかりませんが、歴史的建造物の保存のために多少の入館料とか見学料は必要とは思うけど・・・
と、800円にこだわってブツブツ・・・


写真はすべて蘇我夫が撮りました。


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内部は1階がイギリス風、2階がフランス風の装飾がほどこされています。撮影は出来ないので残念。
3階がドイツ風らしいけど、たぶん老境化のせいでしょうか、入れませんでした。


新津恒吉という人は昭和シェル石油の前身の一つとなった「新津石油」を創業し、莫大な財産を築かれたそうですが、この迎賓館竣工の翌年になくなったため、使用することはなかったそうです。確かにすごい立志伝中の人なのでしょう。
この洋館の裏にある日本家屋が自宅だったということで、こちらも立派な建物でしたが、中に入ることは出来ません。

見応えということでは、洋館なら鳥取の仁風閣が素晴らしかった。この新津記念館は仁風閣とは時代も違う。新津記念館の方が新しいけど、進駐軍将校が使用していた頃に荒れたそうで、そのせいかわからないけど、傷みがちょっと気になりました。


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庭園の百日紅がきれいです。


下の写真だけわたしが撮りました・・・

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新潟市内駆け足観光、これでおしまい。

市内循環観光バスで新潟駅に戻ります。

蘇我夫、もう夜の三ツ沢に備えて、黄色くなってる・・・

(ちなみに、わたしは小指骨折した右足がむくんで痛み始めたので、やむなく東京から帰宅)