クラーナハ展-500年後の誘惑
上野西洋美術館へ見に行きました。
わたしは、子どもの頃、実家にあった美術書で見たビーナス像が強烈な印象として残っています。
子ども心に「なんかヤらしいなぁ・・・」と。
美術全集を見るのが好きだったので、裸体画はたくさん見ていたけど、クラーナハのビーナスはお胸も小さくて豊満ではないのに、なんともいえず隠微な・・・って、子どもだから隠微なんて言葉はしらないけど、なんだか目が離せないような蠱惑的なものを感じたのでした。
その子どもの頃の印象は、今も変わらず。
ルカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、ヴィッテンベルクの宮廷画家として名を馳せた、ドイツ・ルネサンスを代表する芸術家です。大型の工房を運営して絵画の大量生産を行うなど、先駆的なビジネス感覚を備えていた彼は、一方でマルティン・ルターにはじまる宗教改革にも、きわめて深く関与しました。けれども、この画家の名を何よりも忘れがたいものにしているのは、ユディトやサロメ、ヴィーナスやルクレティアといった物語上のヒロインたちを、特異というほかないエロティシズムで描きだしたイメージの数々でしょう。艶っぽくも醒めた、蠱惑的でありながら軽妙なそれらの女性像は、当時の鑑賞者だけでなく、遠く後世の人々をも強く魅了してきました。
日本初のクラーナハ展となる本展では、そうした画家の芸術の全貌を明らかにすると同時に、彼の死後、近現代におけるその影響にも迫ります。1517年に開始された宗教改革から、ちょうど500年を数える2016-17年に開催されるこの展覧会は、クラーナハの絵画が時を超えて放つ「誘惑」を体感する、またとない場になるはずです。
「ホロフェルネスの首を持つユディト」
どうよ、これ。
コワいよう・・・
息子が書いた夫婦一対の肖像画など、工房の高いテクニックがうかがえる。
冷たい魅力をたたえた女性像に対して、肖像画ではいくつも立派な男性を描いていますが、寓話などで描かれる男性は情けない奴らが多い。
「不似合いなカップル」
エ○じいさんを色香でだまくらかして、金目の物を巻き上げようとする若い女。
一番情けないのは、女王オンファレルに骨抜きにされたヘラクレスの絵。
これらは教訓的な寓話画であるようですが、クラーナハの女性観、男性観も反映されているでしょう。
さらにクラーナハという人の複雑さは、ルターに共感し深く支持していたという・・・
「子どもたちを祝福するキリスト」などは、プロテスタント的な作品で、これはこれで佳品だと思います。
しかし、蠱惑的な女性像とかなり隔たっているような・・・
こういう複雑さもルネサンス的だとは思います。
レイラ・バズーキという人のインスタグラムは、中国深圳の工房の画家たちが描いた「正義の寓意」の模写を壁いっぱいに並べたもので、ハッキリ言ってうまいひとはほとんどおらず、クラーナハとは似ても似つかない作品が多いのだけど、なんだかしばらく眺めてしまう面白さがありました。あんまりヘタクソで笑っちゃうのも・・・本当に画家が描いたのかしら?