ここんとこ読んだ本、まとめて。

本の書庫が全然お留守で、書庫名通りホコリまみれ。

備忘録として、ここ最近読んだ本を書いて置こっと。
忘れちゃたのもあると思うけど、まあそれはそういう内容だったってことでしょう。

読んだ時期は、もう順不同。

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リョサおじいさんの妄想炸裂「悪い娘の悪戯」。
トシをとってもあっちの方の欲望は変わらないようだけど、実行力はダウンするぶん、想像力はさらにふくれあがる。
あきれかえるような何でもありの展開。
しかし、主人公の「よい子」は、結局初恋の人と添い遂げてしまう。そこが、「コレラの時代の愛」にも通じる純愛性でしょう。

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「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」
オースターのラジオ番組で取り上げた、アメリカ市民が実体験を綴ったショートストーリー集。
いかにもオースターらしい選び方で、日常の中に不思議さや驚きや傷みや笑いが隠されている作品群です。
電車の中で読むのに最適。
こういう多様性のあるアメリカであってほしい、と願うのですが・・・


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「テロルと映画」スペクタクルとしての暴力
これは今となっては、なんだか空しく辛い感じがします。
四方田さんがこれを書いたのは、9・11後、その衝撃がまだ残っている時期ですが、それから何年も経って、各地でさらに苛烈なテロが頻発している現在、この本の最後の章などを読むと、四方田さんも読み手のわたしも、無力だな~と感じてしまいます。
それでも、日本ではなかなか大々的には公開されないインドネシアの映画(バリ島でのテロを扱ったもの)などを、見る機会はないものの、そういう映画の存在を知るだけでも、この本の意味はあるだろうと思います。

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去年だったか一昨年だったかに亡くなった小川国夫の「襲いかかる聖書」。
この人の若い頃の講演会に行ったことがあるけど、たいそう美丈夫でいらっしゃいました。
そのときも埴谷雄高の話をしていたけど、この本の前半部分は小川国夫が埴谷雄高に出した書簡が収められています。往復書簡の「往」しかないので(埴谷の書簡はなし)、ちょっともどかしい感じもします。
神観念談義などは、面白いけど、やはり埴谷の書簡も読みたい。
後半部分は小川国夫定番、藤枝の海辺で展開する、病み上がりの娘とその兄の物語。
読みながら感じる胸騒ぎ。娘さんは救われたんでしょうか・・・


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この人の作品はいつも、読みながらザワザワと胸騒ぎを覚えさせられ、それがなんとなくコワい。
そして、たいていひどく不器用な人々が登場します。
この一家もそれぞれに不器用な生き方をしていますが、特にいつも不器用なのはお父さん。
そのお父さんにはパワーズはしばしば戦争の影を落とします。
胸騒ぎの通りに、恐ろしいことが判明するけど、一家をつなぐ愛情も表されます。
表紙のヘンな絵は、ミッキーの帽子をかぶった、他ならぬウオルト・ディズニー。
彼がこの物語で果たす役割も不思議なんだけど、ここに日系人が絡んでいて、パワーズの目配りというか、視野の広さと洞察の深さを感じます。

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スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」
この人の名前、どうしても覚えられないのよね・・・ロシアの名前は難しい。
と言っても、この人はベラルーシの出身だそうです。
旧ソ連で、第2次世界大戦中に従軍した女性たちの経験を聞き書きした、長大なインタビュー集。
看護婦としてだけではなく、戦闘員として参戦した女性が大勢いたそうです。
これでもか、と残酷な悲惨な恐ろしい話が続くのだけど、だんだん読むにつれて、このインタビューの人数の多さにこそ意味があると思えてきました。
寝る前にはとても読めない、恐ろしすぎて。
しかし、戦争にも一人一人の言葉があり、命がある。
男ではなく、女の言葉として、戦争を語ること。
もっと書きたいのだけど、時間がなくなった・・・


最後に。


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これについては、別に書くつもり。



追記。

やっぱり一つ忘れてた。

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オルハン・パムク「白い城」。
17世紀後半のイスタンブルを舞台に、海賊にさらわれてきたベネチア人と容姿がそっくりのペルシア人との話。
対立する文化と同居を続けながら同化して行く人格とが、史実を織り交ぜながら、スリリング(心理的に)展開して行く。
パムクもいつも読み応えがあります。