吉備津神社にちなんで「吉備津の釜」ふうちゃんP4版(備忘録)~結婚はよーく考えての巻。

まあ誰も読まないだろうから、ワタクシ流にテキトーな意訳をしておこうっと。


作者は上田秋成、安永5年(1776)刊行の「雨月物語」所収。

吉備津の釜」は、冒頭いきなり
ヤキモチ焼き女房は、ウザくてたまらんが、年取ると、ありがたみがわかるってか。

みたいな身勝手なことを言う。

女房の悋気は、商売の邪魔だし、近所のウワサにもなるし、ヘタしたら家どころか国を失い、天下の笑い草になる。昔からこのヤキモチの毒にあたる人は数知れず、死んでもなんや怪しい毒ヘビみたいになり、雷みたいになり、そーゆー妄執は、その肉を塩辛にしてもあきまへん。そもそも夫が品行方正で、妻をよく教えてやればいいのだが、ちと浮気しようもんなら、女は根性曲がってるから、えらいことに
なるねんやんか。


と、この後も現代なら炎上間違いなしの、性差別的文言が続きます。


そもそもこの話が、ひどい女性虐待話なのですが。今なら家庭相談センターへ電話するところです。
これからようやく本題。


吉備の国賀夜群庭妹(かやのこおり、にいせ)の郷に、井澤正太夫という人がいた。
祖父は播磨の赤松に仕えていたが、去る嘉吉元年の乱の折に、そこを去って吉備に来て、正太夫まで3代、農業を営み、豊かにくらしていた。
その子正太郎つうのが、農業を嫌って、酒は飲むわ女遊びはするわ、両親が嘆いて、本人には内緒で「良いうちの美人のお嬢さんをお嫁にすれば、あの子も落ち着くのやないか」と、国中に良縁を求めると、仲立ちする人が言うには「吉備津の神主香央造酒(かさだ みき、漢字ないからメンドイ)の娘は、美人で親孝行で歌も詠むし、琴も上手。そもそもあの家は吉備の英雄吉備津彦命の子孫で、家柄もよく、お宅とご縁を結べはきっと良いことになりましょう。いかかですか」と。正太夫は大喜びで、「それは良いことを聞かせて下さった。これは我が家には家運長久の基になるでしょうが、あちらさん貴族で、こちらは名もない農家ですから、家格が釣り合わんと、お断りになるでしょう」仲立ちのおじじは笑って「ご謙遜なさらず、わしにお任せ下されば、きっとまとめて高砂を謳うことになりますよ」と、香央に伝えると、彼も喜び、一応妻にも相談すると、妻も乗り気になって言うには「娘も17歳になったので、毎日良い人おらんかな、結婚させな、思て落ち着きませんでしたのよ、早く吉日を選んで結納を交わしましょう」と、強く勧めたので、もう約束して、井澤に返事をした。即立派な結納を送り、吉日を選んで婚礼を急いだ。


これ、誰が読むのか。
まあいいや。

昔の結婚って、いい加減なもんですな。
正太郎がしょうもないバカ息子だと、調べればわかったろうに。


さらに、神様に婚儀の幸いを祈りましょうと、神職を集めて、御湯を捧げた。そもそも吉備津神社に願い事などする人は、たくさんの供え物を供えて、御湯を捧げて吉凶を占う。
御湯つうのは、神職祝詞を唱え、湯が湧き上がり、釜から牛の吠えるような音がしたら吉兆、何も音がしなかったら凶兆。これを吉備津の御釜祓という。すると、香央の家のことは、神様が受け入れなさらないか、ただ秋の虫が草むらで鳴くほどの小さな声もない。香央は心配に思い、この結果を妻に話した。妻は全く疑わず「御釜が鳴らなかったのは、神職が身を清めていなかったからでしょう、もう結納してもうたし、夫婦の縁を結んだ以上は、仇だろうが異国だろうが、変えてはいけない、というやないですか。ことに井澤は、元は武士、規律に厳しい家だそうやから、今やめゆうたかて、聞いてくれまへんで。うちの子も、婿さんイケメンらしいと聞いて、指折り数えて待ってるのに、今のこと聞いたら、なんや早まったことしでかすかしらん、その時後悔しても遅いやないですか」と、言葉を尽くして夫を諌めるのは、全く女の言いそうなことだ(原文は「女のこころばえなるべし」だけど、あえてこう訳した)。香央ももとより願ってもないご縁なので深く疑わず、妻の言葉に従い、婚礼を挙げ、両家の親類縁者、夫婦の縁が千年万年幸せに続きますように、と祈り祝った。


えらく長いじゃん。
気が向いたら、続き書きましょ。
ここまでだと、あまり怖くないわね。