吉備津神社にちなんで「吉備津の釜」ふうちゃんP4版(備忘録)~女房騙して駆け落ちしたが、の巻。

何を思ってこんなこと始めたんだか、自分でもよくわからないけど、ともかく続き。

結婚してからの正太郎と磯良がどうなったか。

香央(かさだ)の娘磯良は、嫁いでから、朝早く起き、夜遅く寝て、常に舅姑の傍らにいて、夫の性格を察して、心を尽くして仕えたので、井澤夫婦は、親孝行で貞節で良い嫁だとたいそう喜び、正太郎も彼女の志を愛しく思い、夫婦むつまじくしていた。しかし、生まれつきの放蕩な性癖はしゃーないもので、いつのまにか鞆の津の袖という遊女と懇ろになり、ついに見請けして、近くの里に別宅をこしらえ、そこに入り浸って家に帰らない。磯良はこれを怨み、あるいは舅姑の怒りにかこつけて諌め、あるいは浮気心を怨み嘆くが、正太郎は上の空、後は幾月も帰らないのだった。父は嫁磯良の切ないふるまいを見るに忍びず、正太郎を責めて押し込めてしまった。磯良は、夫のさまを悲しく思い、朝晩ことに丁寧に仕えて、また袖の方にもひそかに物を送るなどして、誠意の限りを尽くした。


と、いそらさん、お育ちが良いからか、人が良すぎるのですが、さらにまたちょっとアホやないかいな、というくらいのお人好しぶりを見せます。


ある日父がいない間に、正太郎が磯良に猫なで声で言うには「あんたのまめまめしい貞節ぶりを見て、今は自分の罪を悔いるばかりだす。彼女を故郷へ送って、親父さまのご機嫌を和らげましょ。彼女は播磨の印南野の者だけど、親もいない頼りない身の上なので、つい可哀想に思ってなあ。われに捨てられたら、こんだ港町の安女郎になるやろ。おんなじアレな奉公でも、京は人の情けもあるやに聞くよって、あいつを京に送って、身分高い人に支えさせたい思う。われは今こーゆー状況やさかい、金ないんや。旅費も着物も、誰が工面してやんねん。あんた、このことよーく頼んだによって、あれを助けたってや」と、懇ろに頼んだので、磯良はたいそう嬉しく「このこと、ご安心くださいませ」と、ひそかに自分の着物や道具を金に換え、さらに香央の母にも嘘をついて金を無心し、正太郎に与えたのだった。正太郎はその金でこっそり家を出て、袖を連れて京の方へ逃げてしまった。ここまでアホにされたので、磯良はただただ怨み嘆き、とうとう重い病に倒れてしまった。井澤香央の人たちは、正太郎の仕打ちを憎み、磯良を可哀想に思い、けんめいに医療の効果を期待したが、日に日に粥も喉に通らなくなり、何も頼れそうもないようだった。


可哀想にもほどかある~でも、このバカ亭主に有り金を全部渡すのもどうかと思うけど。
当然、こうなってしまいました。


さて、因幡の国印南郡荒井の里に、彦六という男がいた。彼は袖の従兄弟という縁があるので、まずは彼を訪ねてしばらく逗留した。「京ゆうても、誰でも頼りになるわけやない。ここに留まりなはれ。一つ釜の飯食うて、ともに暮らしの算段しようやないか」と、頼もしい言葉が心に響いたので、ここに住むと決めた。
彦六は自分が住むとなりのボロ屋を借りて二人を住まわせ、友達ができたと喜んだ。ところが、袖は気候のせいか、何となく体調を崩して、憑き物でもついたように狂おしい様子で、ここに来て数日のうちにこんなわざわいに合う悲しさに、正太郎も食事も忘れて抱きしめるが、ただ泣くばかりで、胸がさしこんでいかにも苦しそうだが、発作が止むといつもと変わる様子もない。いきすだま、生霊のたたりだろうか。故郷に捨ててきた妻がもしや…とひとり胸苦しい。彦六は、正太郎を諌めて、「どうしてそないなことあるものやら、これまで疫病にかかった人の様子は、いくらでも見てます。熱がさめると、けろっとしますがな」と、気安く言うのが頼もしい。しかしみるみるうちなんの回復の兆しもなく、7日目に亡くなってしまった。正太郎は天を仰ぎ、地を叩いて泣き悲しみ、一緒に逝くと狂おしい有様を、彦六はあれこれと慰めて、この上はもう仕方ないと、ついに荒野の烟、荼毘に付した。骨を拾い、塚を築いて塔婆を立て、僧を呼んで懇ろに菩提を弔ったのだった。



浮気相手のお袖さんが、原因不明の急病で死んでしまったところまでで、また続く。
まだあまり怖くないけど、なんか怖そうな気配が漂ってきてますな。

次も気が向いたら書こう。