トゥヤーの結婚、追記

トゥヤーの結婚について、もうひとつ。
彼女が足の不自由な夫と離婚して、
再婚することになるのだが、新しい夫となるための条件が、
元夫もひきとって世話をしてくれるということ。
現代日本人にとっては、とても無茶な話に思えるし、
若くて美人のトゥヤーをもってしても、求婚者は次々現れても
なかなか相手がその条件を受け入れません。
ここで思い出したのが、旧約聖書には
兄が死んで、その嫁が残された場合、
その弟が兄嫁を娶らなければならないという規定です。
それは、なにより子孫を絶やすのが民族として許されないこと
だからであり、また兄嫁の生活の保障という理由があるでしょう。
トゥヤーの結婚は、元夫と子ども達を愛するがゆえ、なので
かなり違いますが、同じ放牧をする民として、何か共通性を感じました。
(カナン定住後のイスラエル人は
農耕民らしいのですが・・・牛、羊、ヤギを飼っているので)
さらに、トルコの映画「路」ユルマズ・ギュネイ監督、には
旧約聖書そのもののエピソードがありました。
まさに放牧民の話で、イラク情勢でたびたび名前のあがるクルド人です。
放牧民の若い男が、ひとりの可愛い娘をひそかに愛していて、
彼女も好意をもっている様子でした。
男女交際など許されない厳しい戒律の世界で、
ただ視線を交わすだけ、それでも気持ちが通じ合っているようでした。
ところが、彼の兄が亡くなって、その妻が彼の元にきて
無表情に言い放つには
「○○(兄の名)が死んだ。あんたは、あたしと結婚しなければいけない」
それで、淡い恋はおしまいになります。
どうみても彼よりずっと年上の、生活やつれなのか、魅力のない兄嫁と
彼は結婚しなければならない、と決っているんだそうです。
なんとまあ過酷な定めなのか、暗然とした思いでした。
旧約聖書の世界では、女性の生活の保障というテーマが
いまから何千年も前にしては、それなりに手厚く取り扱われているので、
兄嫁と結婚しなければならないといっても、理不尽とは言い切れないと思います。
でも現代人には、やはり適用できる規定ではありえません。
もちろん、伴侶が亡くなってその兄弟姉妹と結婚することがあっていけないことはなく、
お互いの意思で、それでよければ今でもあり得ることです。
でも「路」の世界はイスラムの厳格なもので、
ひどい!あんまりかわいそう!という話が満載の映画でした。
「トゥヤー」の方は、とにかくあたしと結婚するなら、
元夫ももれなく付いてくるわよ、という図太さがあり、
そう気重になることはありませんでした。