YASUKUNI

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急に時間ができたので、久しぶりに映画を観ようと思いました。
「ハンティング・ゲーム」などと迷った末、「靖国」を選びました。
映画館の入り口に警察官がいて、やはり妨害される可能性があるのか・・・
と、いまさらながら驚きました。
観たい映画というよりは「見といたほうが良い映画」かな、と思ったのですが、
実際これが、なかなか面白く、インパクトのあるものでした。
ドキュメンタリー映画というのは、報道とは違いますから、
思想信条的に中立公正でなければならないということは、もちろんありません。
その最たるものは「ゆきゆきて、神軍」などでしょう。
靖国神社を題材にしていることに、既にLi Ying監督の視点が示されています。
その描き方はずいぶん冷静で、映画としてもなかなかの力があります。
この映画に登場する人、どの人にも大変な迫力があり、
次々に映し出される人物を見ているだけで、
何か群像劇を観るような面白さを感じました。
その人自身の迫力と、それを描き出した監督の力量の現れでしょう。
わたしは靖国神社に行ったことがありません。
関心がない、というのが大きな理由ですが、
さらにいうなら神道の信者ではないからです。
正直言って熱心に拝礼している人たちは、まるで別世界の住人のようで、
呆気にとられてしまいました。
ただ、カメラはその周りで、ジョギングしている人、
滔々と英霊を称える人を珍しげに写真に撮る人、
軍隊式の拝礼する人々の脇を特に関心もなさそうに
通り過ぎる人、など様々な人々を捉えていました。
これが日本なのだと思いますし、監督はそうした様々な人が
フレームに入ることを排除していない、あるいは入れている、
そこが面白いところです。
刀鍛冶の90歳の職人に対して、監督は敬意をもって接していました。
刀鍛冶は、いかにも昔の人で、難しい質問にはあいまいに笑って答えませんでした。
彼は靖国刀が戦争中、どんなことに使われたかという関心よりも
刀を作るという仕事への熱心さが強いようでした。
そして素朴にもう戦争のあったあんな時代はいやだ、とつぶやいていました。
これもわたしの身近の年寄りに良く見られる、
特に反省もないけど、実感としての厭戦でしょう。
映画の終盤に挿入された、南京虐殺などの戦争中のむごい写真、
中国人監督としては、入れなくてはならないものだったのでしょう。
もし、昭和天皇の参拝の映像だけだったらどうだったでしょうか?
映画としてはそのほうが良かったような気もしています。
しかし南京大虐殺があったという立場もなかったという立場も知らない
人がこの映画を観るとしたら、写真を入れた監督の意図も
生きてくるでしょう。