サッカーミュージアム

ウワサのおじじ(誰も噂してないけど)に夕食を作ってから、
頂いた招待状を持ってお茶の水の「サッカーミュージアム」へ夫婦で行きました。
写真撮ったのに、どこに保存したか行方不明(相変わらずのPCオンチ)。
もう暗くなっていて、良い写真ではなかったけど・・・

お茶の水は医科歯科大の方へ降り、
サッカー通りという道を行くと「JEA」の結構立派なビルが見えました。
「鬼か犬かに、物申しに行こうか?」と言うも、たぶんお留守でしょう・・・

エントランスには代表の大きな写真。今ちゃんがいない!
長友らしき選手はいるので、最新のものらしい。
日本サッカー史が一望できるコーナーがあり、昔の選手の功績がわかるところが良い。
そこで改めて思ったのですが、、日本ではア式フットボールを始めたのは、大学生でした。
手紙の時代なので、見ればみなたいそう字がきれい。
「字が上手でないと、サッカー選手になれなかったんだね、むかしは」と、冗談を言い合ったくらい。
サッカーの初めからそうだったので、今も欧州フットボールとは違う雰囲気が残っていると感じました。

東京オリンピックに出たユーゴスラビア代表のサインもあり、そこにイワン・オシムも。
夫の自慢は、イビチャ選手時代のユーゴチームの試合を見たということ。
でも、さすがに小さかったので何も覚えていないそうです。
彼は「あ、チャ・ブンクンだ!」などと旧敵を見つけたり、
メキシコオリンピック予選で国立のゴールのバーにシュートをたたきつけて、
日本人の肝を冷やした韓国人選手の名前はなんだったか、相手チームの選手名も
出すべきだとか、興奮すること・・・
日本サッカー冬の時代のFWに見たような人の写真が・・・ハラヒロミさんでした。
彼の香港でのゴールを夫は目撃しています。
犬サポ、日本サッカー史の生き証人のような人です・・・

サカマガの表紙を創刊号から展示している特別コーナーがありました。
夫は古河の選手の写真に大喜び。
昔は古河が強かったので、またよく表紙になったのです。
いちいちうるさい。でも、わたしは誰だかあまりよくわかりません。
永井はわかりましたが。
しかし、数多く長く表紙になったのは、釜本。
彼の前後に彼なし・・・というところでしょう。

わたしがおっ!!と反応したのは、ジョージ・ベストからです。
どうも70年あたりから、サカマガも表紙の顔で売り出したのか・・・
それまでは、本当に地味な表紙で選手がカメラ目線でにっこり、なんてのは皆無。
みんな無骨な大和民族顔。うっちーみたいな選手は、多分いない。
試合中の1ショットを表紙に使っているようでしたが、
おそらくジョージ・ベストのようなスター選手が出てくるに及んで、サカマガの表紙も
変わっていたようです。
でも、一番おお!というのは、今年だからなおさらですが、ゴードン・バンクスの表紙。
そうです、あのバカみたいなロングスローのロリー・デラップ、先日は退場させられたあの人。
彼のいるストーク・シティの、イングランド不世出のGKゴードン・バンクス。
でもわたしはリアルタイムでは知りません・・・

リアルタイム(TVですが)で試合を見たのは、ユースでのマラドーナでした。
かわいい男の子の顔で表紙を飾っています。

(付記・・・メノッティ監督も表紙になっています。
彼によって、サッカー監督というものを初めて意識させられました。
このアルゼンチンユースチーム監督メノッティは、
「インテリジェンス」を若いチームに浸透させ、それまでのあらっぽい(汚い?)サッカーから
洗練されたサッカーにした監督でした。
その後、フル代表を率いて、ケンペスの活躍もありW杯で優勝したのでした)

閉館時間も近くなり、後半は流して見ました。Jリーグ発足からは
わたしども夫婦にすれば、つい昨日のことですし・・・
Jアワードの年間MVPの中からさらにMVPと思われる選手に貼ってください
と、Jリーグのロゴのシールをもらいましたが、選びたい選手がいないのです。
覚えていますか?
Jリーグ初年度のMVPはカズでした。2年目は?ペレイラ・・・
緑じゃん!
仕方なく04年ベストイレブンの土肥に貼ろうとしたら、すでに貼ってはがされたあとが。
年間MVPじゃなくてはいけないのですな。
結局カズに1票。
だって、これから東京のゴールに入れられる心配はないでしょうし、今は緑でないから。

そんなこんなで楽しく遊びました。

さて、一応見ますか、代表戦。

(訂正・・・メノッティ監督は、W杯優勝後、マラドーナのいたユースを率いて来日したそうです。
記憶違いでしたので、お詫びして訂正します)