J2備忘録② 松本山雅・チャリティーマッチと「クラシコ」

いよいよFC東京も新体制が発表になり、早くも「サカマガ」の巻頭にポポヴィッチ監督のインタビューが掲載されています(なかなかステキ)。
さらに今日はJリーグの日程が発表されました。
う~ん、1節2節とも19時KO?
3月にナイトゲームなんて寒いじゃないか!
・・・・・・他に言うことはないのか!とつっこまれそうですが。
 
で、もう昨季のことなんか振り返っている暇がなさそうです。
それでも①を書いちゃったからせめて②くらいはデッチアゲておかないと自分の気分がいくない。
 
昨季で忘れてはならないことと言ったら、東日本大震災を挙げなければならないでしょう。
今もその大災害の影響は深く色濃く残っていますし、苦しみ悲しみのうちにある方も多くいらっしゃるでしょう。
Jリーグは1節が終わり、東京は鳥栖に辛くも勝って白星スタート。
第2節を前に、あの大地震が起きたのでした。
Jリーグはすぐに試合中止を決定、その後の日程も変更されました。
その中断期間に各地で開催されたチャリティーマッチのひとつが、
アルウィンで行われたFC東京松本山雅の試合でした。
長野県栄村のための募金も行われました。
 
 
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久しぶりに遠出してこの試合に行くことで、サッカーを見られる幸せを改めて感じました。
 
そしてスタジアムでは松本山雅サポーターのホスピタリティに、震災後の塞がった気持ちを深く慰められたことが鮮明に思い出されます。塞がった気持ちなんて、わたしが言うのは被災者の方に申し訳ないのですが、今も震災前とは心の中が何か違っているのは事実です。
この試合でも存在感を見せていた松田直樹選手が8月に思いもかけず急逝したこともあって、忘れられないものとなりました。
試合内容は東京の出来が悪くて、再開後の低迷を予感させるものでしたが。
 
松本山雅との出会いは、ガーロ監督当時のなぜかアルウィンを東京のホームとした鹿島戦だったと記憶していますが、その応援に初めてアルウィンに行った時でした(悲しい感じの敗戦でした)。スタジアムの入り口で、2人の女性(若いお母さん風)が松本山雅に応援を呼びかけるチラシを配っていたのでした。確かA5の1枚で緑の単色刷り、選手の写真と試合日程が印刷されたものでした。その選手が誰か思い出せませんが、もしかするとパルセイロ長野に電撃移籍した土橋宏由樹選手だったかもしれません。
松本はステキな街だし、まさにアルプスに囲まれたスタジアムもすばらしかったのと、山雅には熱心なサポがいると知ったことで、アルウィンは印象深いスタジアムでした。
 
そして、最近クラシコを見ました。
クラシコ」言うたらそら、こないだのバルサとレアルのあれ・・・・・・ではないのです。
 
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この「クラシコ」の前には「多摩川クラシコ」なぞタヌキのしっぽを丸めて引っ込むしかない。
フットボール映画の白眉と賞賛されただけのことはある、すごい映画です。
詳しいことは見る楽しみを奪うのでやめましょう。
とにかく、松本と長野は普段から歴史的因縁もあって、ライバル意識が激しいそうで・・・
で、昨季のJFLの順位では、1位は「門番」SAGAWA SHIGA 、長野が2位、ポポヴィッチ率いる町田が3位、松本山雅は4位でした。
順位から言えば長野はライバル松本の上、当然J2昇格できるはずですが、結局スタジアムがJリーグの規定に届かず、JFLに留まることに。
アルウィン松本山雅の持ち物ではないので、長野県の意向次第でパルセイロのホームに成る可能性もあったようです。しかしここをホームとして試合をしてきた実績がありますから、このすばらしいスタジアムとサポーターと共にJ2へやってきました。
ジェフとの試合が楽しみだったら楽しみだな~
 
映画クラシコ」は昨年3月12日封切り予定でした
震災後多くの映画館が休館しましたが、これは3月12日に上映し、お客は7人だったそうです。サポ割と言って、どこでもチームのグッズを身につけて行くと安くなったとか。でもわたしはとても映画館に行く気にはなれませんでした。
DVDには「Re:クラシコ~福島から遠く離れて」という震災後の長野を含めたサッカーシーンと、「クラシコ」の被災地での上映活動を記録したものが収録されています。
そこにはFC東京とのチャリティーマッチの時に松本サポが掲げた(そうです)「地元を愛する心がある限り、この国は滅びない。」という宇都宮徹壱さんによる「クラシコ」のキャッチコピーを書いた弾幕が、福島の上映館まで運ばれ、入り口に掲げられる様子などが撮られています。
クラシコ」制作意図とは離れた思いがけない形での、被災地の「地元」とサッカーを愛する人たちとの関わり。これも映画とフットボールの力なのだと思います。
そこには福島ユナイテッドのコーチ(選手?)二人とサッカースクールの子ども二人が、放射線を避けて体育館で練習する姿もありました。
避難してその地を離れた子どもも多いのでしょう、いろんな事情でたった二人、マンツーマンになっていました。
しかし、その二人の子どもの汗まみれになった楽しそうな表情といったら・・・
福島のサッカー少年の輝くような表情もまた、忘れがたいものでした。