ナビスコカップファイナルの思い出 その3(ジェフ編)

長文になってしまいました~~~~どうしてかな?まとめるのがヘタなんですな。


04、05年とMVPはGk土肥、立石。PK戦での優勝でした。

05、06年のファイナルは夫と二人で国立へ応援に行きました。
05年には夫はまだ海外暮らしでしたが、決勝戦に合わせて帰国。
彼にはいまだに日本リーグのイメージが強くて、チケット購入などの初動がいつも遅いのです。
この年もわたしが「せっかく決勝までいったのだから、国立へ行こうよ。チケットだって売り切れるかも」と勧めると、「え?見に行く人いるのお?売り切れるってそんなことあるのぉ?」と暢気なもの。
(最近やっとフクアリには開門時間に行くようになりました。)
この年のジェフはオシム監督のもと、それは魅力的なチームになっていました。
夫はジェフの試合を生で見るのは、味スタでの東京・ジェフ(いつも面白い試合をする)以来だったと思います。
相手はガンバでしたから、この試合も面白かったと記憶しています。
ジェフが守勢の時間が長かったかと思いますが、それでもジェフらしい攻撃もありました。
確か羽生が前半ケガで退いた・・・工藤が替わり。思えば、ずいぶん若い選手が多かったのです。
その後草刈場になったのには、若い伸び盛りの選手が多かったからだったのですね。
PK戦は、多くのジェフサポが記憶の通り、立石が遠藤を止めて勝利。
いつものコロコロシュートでなかったのは、彼なりに緊張したのか、考えすぎか?

そして、PK戦の前にオシムさんが姿を消したのは有名な話ですが、わたしは気がつきませんでした。
夫は「あれ?いないなあ・・・」と思っていたようです。
しかしオシムさんならずとも、PK戦は心臓に悪い。生きた心地がしませんでした。

06年。
夫は日本勤務に戻り、留守の間にわたしが東京の年間チケ保持者になっていたのを羨ましがっていました。
この年のナビ決勝は、鹿島相手にジェフの完勝。
始めから危なげなかったと思います。
水野晃樹大活躍。さすがオシムさんにしっかり育てられた選手です。
彼と阿部勇樹のプレーを見るだけでもチケット代の価値はありました。
わたしの印象は実は、05年の方が強いのですが・・・初優勝だったこととPK戦はやはりドキドキしたことで。
夫はこの快勝した試合がお気に入りのようです。
ある意味でオシムさんのサッカーの結実と言えるでしょう。
つまり、このファイナルの監督の席には、イビツァ・オシムはいなかったのです。
代わりに息子のアマルが指揮を執っていました。
あの川渕さんの「言っちゃったねえ。」事件により・・・ってことでもないけど、オシムさんは代表監督に。
アマルはオシムサッカーを継承しつつ、自分の色を出そうとしてか、さらに攻撃的にしたかったのか、
リーグ戦ではなんだか・・・良くない流れになりつつありました。
しかし、ナビでは選手はのびのびとプレーしていたように見えました。

・・・この後ジェフは苦しい道を歩むことになってしまいます。
2度の優勝チームにいた選手の何人が今のジェフに在籍しているか・・・
FC東京も無関係ではない話ですが・・・東京からも少なからず選手が出ていますが、主軸がごっそりいなくなるというのは、やはり厳しいものです。
しかしそれ以上に、どういうサッカーをするのかという方向性が定まらなかったことが大きな問題ではないかと思います。

そしてもうひとつ。リーグ戦が重要であるることは当然ですが、
カップ戦の戦い方を間違えると、後々響いてくるのですね。
07年、ジェフはナビスコ予選を3連勝し、4試合目神戸戦だったか、戦い方を誤って落としてから、リーグ戦もよくない流れになったのではないかと記憶しています。
今年、東京も名古屋との2ndレグを落としてから勝てない試合が続きました。
カップ戦を上手に戦うことも簡単ではないのでしょう。


夫は05、06年とも優勝記念のフォトスタンドと、05年のTシャツを持っていますが、
特に06年のものはしまい込まれたまま・・・
記念グッズが届いた時期は、いつだかはっきり覚えていないけど、07年シーズン中すでにジェフは
苦しみだして、ナビ優勝など遠い記憶になっていた頃でした。
夫は「こんなもん、いらない!」と、しまい込んでそれっきりです。
だから写真なし。

でもジェフサポのみなさん、東京も低迷していたことには変わりないのです。
06年東京13位、ジェフ11位。07年東京12位、ジェフ13位。
それでもどのシーズンも忘れられない良い試合があります。
ジェフの2度のカップ戦優勝は、今も誇らしく思い出されるでしょう。

一応確認したつもりですが、記憶違いだったら訂正コメをよろしくお願いします。