ナビスコカップファイナルの思い出 その2

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さて、いきなり問題です。
1992年第1回ナビスコカップの優勝チームは?



・・・緑です。あ、「川崎」ね。なんと3連覇しておられるのですね。つおかったのですな~
4回目にやっと清水が、緑相手にPK戦を制して優勝。
これはよく覚えています。実は東京がまだJリーグ入りしていなかった時代は、
Jでは清水を心情的に応援していたので。
でも、日本平に行ったことはなく、先日のリーグ戦で初めて清水へ。
その優勝後なぜか「笑っていいとも!」テレフォンショッキングにノボリが登場、
タモリがまったくのサッカーギライで、おちょくられて、ノボリさん、額からものすごい汗を流していたのを覚えています←ろくなこと覚えていない・・・

そして今調べて思い出した・・・というよりはそうだったか!と気がついたことは、
98年にジェフがファイナル進出していて、ジュビロに完敗していたのですね。
MVPは現役をFC東京で閉じた川口信男。ニューヒーローが高原。そんな時代もあったのか・・・
その頃夫は海外在住で、Jリーグのニュースは新聞でしか入手できず。
夫もリーグ戦はともかく、ナビまでは興味があまり湧かなかったようです。

しかしなんといっても記憶が鮮明なのは、04年。
東京・浦和の決勝戦
東京サポなら誰でも知っている通り、チケット入手大困難。
ウチはその時も海外生活に比重があり、とてもチケットなど買いに走ることはできませんでした。
わたし一人でTV観戦。
いきなりジャーン退場。
その頃の浦和と言えば、エメルソンを擁して強力な攻撃陣を誇っていたのに、前半から10人の劣勢。
まあ、マスコミのシナリオは浦和が勝つことになっていたのでしょうが・・・
わたしは一人で悲鳴を上げるやら、部屋を走りまわるやら、大騒ぎ。
PKに持ち込んだ時、原監督ならずとも、選手の頑張りに感動しました。
最後のPKを決めたのは・・・今でも味スタの試合前にスクリーンに映る・・・元日本代表SBですね。
その後も東京はSBの人材には恵まれています。

退場になったとはいえ、ジャーンと茂庭は今でもすばらしいCBコンビだったと思います。
湘南で活躍する姿を見ると・・・なんとも言えない感慨に。

PK戦、梶山が外したことすっかり忘れていました。そうだったか。
まだ若いのに、よくあの順番で蹴ったこと・・・
優勝の形ある記念としては、DVDを買っただけ、しかも1回しか見ていません。

でも、その試合の記事が載った「サカマガ」はとってあります。
わたしは「サッカー茶柱研究所」の記事が気に入っています。

さてと。長くなったかしら?
では、続きは「その3」にしましょう。