「ジョージ・ベスト」がいた」

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著者の川端康雄は、オーウェルが専門の英文学者で、いわゆるフットボールジャーナリストではありません。どういう経歴の人かは知りませんが、55年生まれ(昭和じゃなくて西暦ですっ!)なのでジョージ・ベストの現役時代をある程度は知っているだろうし、「スイングする60年代」の空気を吸って育ったことは確かでしょう。
帯のコメントがベッカム・・・まあそうなんだろうな。でもこの本にもあるけど、ベストの時代は背番号がポジションで固定されていたので、彼も7番だけでなく、試合によっては8,9,10番などをつけていたそうです。わたしもベストと言えば「7番」しか思いつきませんが。ベッカムもだからマンUの7番といえば、紛れもなくベスト、その背番号をつけることを誇らしく感じたのでしょう。現在は・・・オーウェンか。元ワンダー・ボーイか・・・微妙。
 
新書ですからそれほどのページ数ではありませんが、中身はなかなか充実しているし、面白いと思いました。
彼は北アイルランド出身ですが、マンチェスター・ユナイテッドの選手だったので、イングランド文化の中のフットボール、文化としてのフットボール、さらにはベストがフットボールを超えた文化としての存在となっていく過程が書かれていて、興味深く読みました。
まずは、第1章の冒頭を飾るベスト生後15ヶ月でドリブルする写真。
すばらしいバランスでボールが右足に吸い付いたよう。ワタクシ、天文学的数字ヶ月生きていますが、こんなボールさばき生まれてから一回もしたことがありません。当たり前か。天才と凡人以下のワタクシを比べても・・・
 
白眉はなんと言ってもCL優勝
1回戦から詳細に書かれていて、特にレアルとの準決勝、ベンフィカとの決勝はまるで眼前に見るようです。マット・バズビー率いるマンUはここに至るまで、58年の8人の選手を飛行機事故で失ったミュンヘンの悲劇を経て、10年の月日がかかっていました。
ベストが天才だったとしても、バズビーという指導者に出会わなければここまでの活躍が出来たかはわかりません。
いろいろな興味深いエピソードがあり、サッカー史に詳しい人ならご承知のことなのでしょうが、わたしは面白く読みました。
特に感動したのは、このCL準決勝、レアル戦、ずっと昔なのにレアルが負けて嬉しく思うなんて、わたしもよほどのレアル嫌いらしい・・・今やマンUだって好きではないのに。
レアル戦で前半は押されっぱなしだったマンU、2点ビハインドで後半、4-4-2から4-3-3に変えて攻撃的に出たマンUが1点返し、2点目・・・
ベストのパスをインサイドでゴールに流し込んだのは、DFのビル・フォークス。「ミュンヘンの悲劇」で九死に一生を得た選手。
今のフットボールとはおそらく少し違うと思うのですが、守備の要でめったに上がることはなく、練習でもシュートはだいたい宇宙開発だったらしい。
彼としては、大舞台での一世一代の上がり。
それがどうしてだかふかすこともなく、ゴールに入ってしまう。喜ぶ暇もなく、自分のポジションに帰ったそうです。
このビル・フォークス
読めば、ああそうか!と気がついたのですが、88年から3年間マツダSCの監督だった「フォルケス」さんでした。マツダ日本リーグ2部から1部に昇格させた人。いうまでもなく今のサンフレです。ユースのコーチをしたこともあって、森保高木琢也マンUの若手育成組織に短期留学させたとか。日本サッカー界の功績者だったのでした。
このエピソードに感慨を覚えましたが、本題の「一世一代の上がり」にも感動しました。
 
読みながら思いを巡らしたことは・・・
もう一度今ちゃんが一世一代の上がりを見せてくれないだろうか・・・
でも一世一代の上がりって、今のサッカーでは余り言えないな。
今ちゃんもモリゲも普通に上がるのが今のサッカーですから。
 
でも、だれでもいい。
土曜日には、一世一代のゴールを決めてください。
 
と、肝心のジョージ・ベストについてはほとんど書けなかった・・・
「スイングする60年代」とベスティについては、いずれまた。