福岡旅行~吉野ヶ里遺跡

9月2日。
前日は福岡レベスタアビスパに勝利して、気分良く観光です。
帰りの航空便は夕方なので、時間たっぷり。さてどこ行こう?
となると、去年鳥栖まで来て、台風のため断念した吉野ヶ里遺跡にどうしてもリベンジしたい。
鳥栖にはホームで負けちゃったばかりで、ベアスタの前を通るのはしゃくに障りますが、遺跡に罪はない←意味不明。
 
で、雨催いでしたが、博多から特急みどり5号に乗って吉野ヶ里公園を目指します。
 
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九州JRはユニークな列車が多い。
博多から特急で30分ほどで吉野ヶ里公園駅到着。
 
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公園の入り口。
吉野ヶ里遺跡とは、佐賀県神崎郡吉野ヶ里町神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡だということです。
公園内にいくつか点在する資料館で見ると、縄文後期から弥生、古墳時代から室町時代あたりまでの遺構や遺物が見つかっているそうです。
 
邪馬台国論争では、九州説にとって強力な論拠となる遺跡。
大和では、最近箸墓古墳卑弥呼の墓ではないか、と言われていますが、そちらはずっと以前に行ったことがあります。発掘が進んでからの大和にも行きたいですが・・・奈良クラブ、早く来ないかな?岡山一成もいるし、というのはひとまず関係ないけど。
 
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最初に出迎えてくれる門と鳥の飾り。
鳥の飾りは各区域の入り口にあります。
鳥は魂の象徴か、魂を運ぶものとかいう意味があるのでしょうか。
 
 
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逆茂木で囲まれた環濠入り口。
弥生人が出て来そうな・・・
 
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南内郭の物見櫓。
こんなのが歩いてざっと2時間くらいの範囲に点在しています。
 
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復元された住居を「ごめんくださ~い」とのぞくワタクシ。
 
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中のムラを臨む・・・
 
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吉野ヶ里の遺構のメイン、北内郭の祭殿。
 
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立派~
内部には当時の様子が人形によって再現されています。
2階は王の元でのまつりごとの様子、3階は卑弥呼みたいな女の呪術師が祭祀を行っているところ。きっとその後のシーンでは、なにか降りてきて「キーッ!」とか言って倒れ伏すのでしょう。
 
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祭殿のある北内郭の様子。
あ、弥生人だ、邪馬台国人が歩いてる~と、思うと当時の服装をしたボランティアの人です。
建物の用途や構造など説明してくれます。
 
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北墳丘墓。
約2100年前の歴代の王やそれに近い身分の人が埋葬された特別な墓。
墳丘の中からは14基の甕棺が出土し、そのうち1基には青銅の剣とガラスの管玉が、7基には青銅の剣が副葬されていたそうです。
出土したままに保存され、半分に割れた甕棺が繭のようです。
 
 
北墳丘墓のさらに北には、庶民の甕棺が延々と埋葬された甕棺墓列が続きます。
全長300メートル、約500基の甕棺墓列。中央に墓道があります。
早い話がすごい広範囲のお墓。子ども用の小さいものもあります。
 
 
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 この中に屈葬されます。
詳しい説明が展示館にありました。
 
お墓だらけですが、この吉野ヶ里遺跡は生活色豊かで、暗い感じはしません。
むしろ弥生の人たちの豊かさを感じます。
 
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ぽこぽこしているのが、全部お墓。
 
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壮観です。
でも、もうずっと昔の人たちだから、気味が悪いとかコワイとかいうより、とても不思議な感じがします。ここで暮らして一生を終えた人たちがこんなにいたのだな~と。
 
 
吉野ヶ里遺跡公園は広くて、展示館には染色などの体験コーナーもあり、一日過ごせそう。
自然豊かでとても気持ち良い場所でした。
ただ、日陰がないので、真夏はキツイ。入り口に熱中症に注意、飲料を買って行きなさいと注意書きがあるくらい。
この日は小雨が降っていて、ちょうどいいお天気でした。
 
 
吉野ヶ里遺跡公園のHP↓