植民地シリーズ「チボの狂宴」「飢えのリトルネロ」「生命の樹」
例によってややこしいこと書いてますので、スルーして下さいな。
前にも書いたけど、トシはとりたくないもの、体力気力が低下して、読書なぞしなくなったに等しいのですが、それでもチビチビと読んできた数冊。
「中南米・植民地シリーズ」と勝手に銘打って、植民地から独立した国(あるいは植民地出身者)を舞台にした小説3冊。
どれもなかなかの読み応えでした。
トシのせいかすぐ忘れるので、備忘録として感想をちょっと。
「チボの狂宴」マリオ・バルガス・リョサ著。2000年発表。
と、ここで基本的な問題。
高校で世界地理を真面目に勉強した人なら当然知っているのでしょうが、ワタクシ、無知なことに、この「中南米シリーズ」読書の過程で「ん?なんかヘンだぞ」とようやく気がついたのでした←恥。
リョサの小説はいくつかよんでいますが、今まで相性が悪くて、「緑の家」も「パンタレオン大尉と女たち」も途中で投げ出してしまいました。
が、この「チボの狂宴」は圧倒的にすごい。面白いというよりは、恐ろしくて恐ろしくてでも最後までやめられない。
作家の視点は、独裁者自身と、その取り巻き、そして反政府側の人間・・・それもやむをえず反トゥルヒーリョに追い込まれた者や、独裁政権の非抑圧者や、保身のためにそうなったり、いろいろな人々の視点で。
ヒロインのウラニアも独裁者から言語に絶する非道な扱いを受け、青春期から中年になるまで心の傷が癒されていない女性です。
作品中には数々の残酷な描写がありますが、彼女の受けた仕打ちがもっとも痛ましく感じます。
独裁者が、思うようにならない少女を蹂躙するという、独裁者ならではの残酷さと老年になった男の惨めさが同じ人間に備わっている、こういう描き方もこの作品のスケールを大きくしているところでしょう。
読んでいても、肉体的な疲労を感じる圧巻の迫力で書かれた大粛清、そして情け容赦ない肉体と精神の醜さの描写、小説の持つ力のすごさを感じます。
映画化されたそうですが(未見)、これは文字でこその力ではないかと思います。
舞台はパリですが、ヒロイン・エテルの大叔父ソリマンとエテルの父親はフランスの植民地モーリシャス出身。
これも少女のエテルが、第二次世界大戦を生き抜いて大人になるまで。
両親の不和、裕福だったけど世間知らずな父親の破産、エテルの自立。
裕福だった頃両親のサロンに集まった人たちによって語られる戦争、「ボレロ」のリズムのように、繰り返し語られ、やがて現実になっていきます。
お父さんの極端な世間知らず振り、エテルが飢えと怒りのうちにも大人になって自立心を持っていく姿が、興味深いものです。
戦争について語るサロンの人々には、戦争を引き寄せる市民の姿が巧妙に書かれていて、わたしたちの国もこの道を歩んでしまったのだ、また歩んでいなければいいが、と思いました。
「生命の樹~あるカリブの家系の物語」マリーズ・コンデ著。1987年発表。
アルベール・ルイというサトウキビ畑の黒人労働者、搾取された人生から自立へと旅に出て過酷な経験をしながら一財産を築いた男から始める、ルイ家の人々の物語。20世紀初頭から70年代まで、アルベール・ルイの曾孫ココという少女を語り手として書かれています。
アルベール・ルイは白人から搾取され差別されたのですが、とても誇り高い人物で、身内で白人と結婚した者は許さない。白人というだけで悪人、と決めるそれだけ酷い目にあったのだけど、現代の価値観では測れない人です。
後半の主人公はアルベール・ルイの孫、語り手ココの母親テクラ。
彼女がいかにも60年代にいそうな自己実現し損ないの女なのだけど、わたしはどうもこの美女が好きになれず・・・
ただ、ルイ家の人間いったい何人いるのやら、実に賑やかにカリブ音楽の聞こえてきそうな、死者までも普通に登場する(前半ではブードゥー教のおまじないも)不思議さ、テクラに腹を立てながらも最後まで興味を引かれて読んでしまいました。
イヤな美女テクラの最大の被害者、娘のココが物語の最後に、「あんたどこの子?」という問いに昂然と答える姿は、感動的でした。
無知というのは恥かしいのですが、知ることがたくさんあると思えばそう悪くはなく、これと「飢えの・・」で知ったことがまた一つ。
それにしてもアフリカ系とヨーロッパ系、カリブ現地の文化やなにやらモロモロ混じり合った複雑さ、難しいけど面白い。
面白いけど、何度読んでもなかなか覚えらないのが、困った・・・