小川国夫の思い出

今月初めに小川国夫が亡くなりました。
ウチには古い単行本が何冊もあるのだけど、重いので、
文庫で読み直そうと本屋に行ってみたら、なんとないのですね。
新潮あたりにはあるかと思ったのですが・・・
仕方なく、黄色く変色した単行本のうち、「流域」を引っ張り出して読んでいます。
ほんとうは彼の長編「ある聖書」について感想を書きたいのですが、
読み辛かった印象があり、やはり彼の真骨頂かと思われる短編を読むことにしました。
「ある聖書」では、イエス・キリストのことを「目の赤い男」と表現していたように
記憶しています。これは小川国夫らしい表現ではないかと思います。
「流域」の冒頭の短編「心臓」はそのその後に続く作品同様、
藤枝あたりの海に近い温暖な気候風土が背景として感じ取れます。
「心臓」では、登場する若い女性の息遣いが鮮やかに描かれています。
ちなみに、彼は藤枝市出身なので、若者が何かスポーツをしているのを描写する時、
サッカーを使う、日本では珍しい小説家です。
さらにちなみに、大江健三郎の「万延元年のフットボール」は、最近読み返して、
改めてその面白さに驚きましたが、バースボールではなくフットボールであることに
意味があると思います。
さて、大学生の時、小川国夫の講演を聴いたことがあります。
文学会が読んだもので、こじんまりとした講演会だったので、
間近に彼をみました。
豊かな黒髪と、すっきりと通った鼻梁を持つ、たいそうな美男子でした。
鼻については自負していたらしく、講演会後の飲み会でも、
同席していた文学会のハンサム青年と、どういういきさつか
鼻の高さだか形だかについて話が盛り上がっていたそうです。
そうですというのは、私は文学会員ではなかったので、
あとから同席した文学会の友人から聞いた話なのです。
肝心の講演の内容についてはあまり覚えておらず、
埴谷雄高について語っていたけど、私は埴谷雄高を読んでいなかったので
よくわからなかったような記憶があります。
小川国夫のようなていねいに推敲を重ねた文章を読むことは、
特に若いうちには必要な経験だろうと思います。
すべて調べたわけではありませんが、気軽に買える文庫にないのは
ほんとうに残念です。