サッカー○゛カに捧ぐ


「パイの大きさと皿の数は限られていて、喜びはごく一部の人にしか与えられません。
2部落ちという憂き目は、リーグ戦という喜怒哀楽の9ヶ月が過ぎたあと、
必ず誰かに押しつけられることが決まっています。
笑う立場と泣く立場。
泣くよりは笑うほうがいいに決まっていますが、自分の人生の中にサッカーボールを抱え込んだからには、ボールの行方に人生が左右されるのは仕方ないことです。
サッカーボールは日なたの方にばかり転がっていくわけではなく、
日陰にも、水たまりにも、容赦なく飛び込んでいきます。
それに、こんなことを言ってもなんの慰めにもならないと思いますが、
失望、落胆、激痛、そういうものも日々の生活をある意味で豊かにするし、
ジェットコースターのような週末を何週間にもわたって過ごすことができるのは、
サッカーバカにのみ与えられた特権です。・・・」(近藤篤『サッカーという名の神様』)

厳格に言うとルール違反(選手の写真もですが)でしょうし、以前にも引用したことがある文章なのですが、この時期にもう一度読みたくなって載せてしまいました。

日常はサッカー○゛カの思いは置いてけぼりに、普通に普通に流れて行きます。
悲しみのどん底のような気分でも、お腹は空くし、眠くもなるし、仕事もある・・・
それがフットボールというものの存在であり、「それでも人生は続く」ということでしょう。
そして、やっぱり週末・・・場合によってはミッドウィークでも、気持ちはスタジアムに。
同じようにボールの行方に心を躍らせたり凍らせたり。

そういう お○゛カが、わたしは好きです。