鳥栖、博多、熊本旅行~その2.熊本水前寺界隈から「うまかなよかなスタジアム」へ

鳥栖に快勝して、博多のホテルに戻り、翌朝は、九州新幹線「さくら」で、熊本を目指します。
 
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う~ん、相変わらず電車の写真、ヘタ~
 
熊本のホテルに荷物を預けて、早速熊本市内をさるく。
 
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出発は、「おてもやんと永田イネ像」
永田イネという人が「おてもやん」の作詞作曲者だそうです。
しらなかった~民謡かと思ってた。
 
例によって行き当たりばったりなので、ここまで来るのも迷い、ここからどこに行くかでまた迷う。
 
結局テキトーに歩き出す。
 
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市電が走っていて、熊本市街は便利です。
何だか忘れたけど、古いたたずまいの店と、隣は大きな目医者さんだったと思う←記憶あやしい。
 
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このあたり、古町と呼ばれる区域のようですが、一町一寺と言われて、碁盤の目状に整備された町割りに、お寺が一区画ごとにあります。
道路に面しておらず、区画の真ん中にあるお寺をいくつも見ました。
 
 
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お盆だったからでしょうか、お寺さん、出入りが慌ただしい雰囲気でした。
 
 
 
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古い商店街・・・
昭和の匂いがします。日曜日だったからか、もうやってないのか、お店は閉まっていました。
 
 
熊本市街には長いアーケード街が走っています。
いいかげんにてくてくさるいたら、賑やかなアーケード街に出ました。
 
 
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一角には、ロアッソ色のスポーツバーが。
 
サンロード新市街だったかどこかそのあたりのアーケード街で適当に昼食。
昼定食(鰺の甘酢あん)、安かった。
 
昼食後、水前寺界隈を目指す。
市電に乗りました。
 
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水前寺公園の近くにある夏目漱石第三旧居。
熊本で6回も引っ越しした漱石の、3番目の家。
もとの場所から移設されたもの。
 
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漱石旧居の隣にある熊本洋学校教師館ジェーンズ邸。
 
熊本市観光情報サイトより↓
 
指定の重要文化財でもあり、熊本洋学校に外国人教師・ジェーンズ氏を迎えるために、明治4年1871年)に建てられた、熊本で最初の西洋建築です。5年間ここで生活をしたジェーンズ氏は、明治9年(1876年)の廃校まで教鞭をとり、自由・自主独立の気風や男女平等思想を教え、日本で初めての男女共学を実施したとされています。また日本赤十字発祥の地としても有名で、洋学校関係の資料のほか、日本赤十字関係の資料も展示されています。
 
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博愛社日本赤十字)発祥の地のモニュメント「愛の手、とこしえに」
 
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ここから新島襄の創立した同志社に行って「熊本バンド」と呼ばれたクリスチャンのグループ、海老名弾正、小崎弘道、宮川経輝などが輩出されたそうです。徳富蘇峰もこの学校の出身。
 
九州は、昔から中国朝鮮半島から新しい文化が入って来たし、江戸時代でも長崎には西洋文化や文物も到来したからでしょうか、進取の気質があると感じます。
 
 
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この日も暑かった・・・
 
いいかげん疲れたかど、まださるく。
 
 
 
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370年前、細川忠利公から三代80年にわたり作られた桃山式の庭園だそうです。
 
 
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お庭、綺麗。
でも、暑い。
歩き疲れた~アイス食べたい、コーヒー飲みたい。と、騒ぐ。
 
駅に戻り、阿蘇のお菓子屋さんの「バターどら(焼き)」とコーヒーのセットをいただいて機嫌がなおる。
 
リフレッシュして、また電車豊肥線に乗り、「光の森」へ。
 
シャトルバスで「うまかなよかなスタジアム」に着きました。
 
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おまけ。
 
怪我だったのかわかりませんが、ベンチ外で、サイン会をする橋本拳人選手です。
女子サポからプレゼントもらって、ニッコリ。
 
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試合はなんだかな~な内容でドロー。
ホテルに帰ったのは11時頃でした~
この日もよく歩きました。